元の英文記事はこちらです。
以下、モンビオット氏の記事抜粋私訳。
「福島のおかげで原子力を恐れるのをやめて愛するようになった私」
ガーディアン紙2011年3月21日
ジョージ・モンビオット(George Monbiot)
日本での出来事が私の原子力に対する見方を変えた、と告げても、読者は驚かないだろう。しかし、見方をどのように変えたかを告げたら、驚くに違いない。福島原発の大災害のおかげで、私はもはや核中立の立場ではない。核賛成の立場に変わったのだ。
安全設備も不十分な古ぼけた原発が、巨大な地震と津波に見舞われた。電源が喪失し、冷却システムが機能しなくなった。原子炉が爆発をはじめ、メルトダウンが始まった。福島原発事故は、設計のまずさと手抜きというおなじみの話だ。だが、我々が知る限り、死に至るような放射線量を受けた人は一人としていない。
環境保護論者は放射能汚染の危険を大いに誇張してきた。が、xkcd.comが発表しているグラフを見てみたまえ。スリーマイル島事故の際、原発から10マイル以内に住んでいた人々の平均被曝量は、アメリカの放射線労働者に許されている年間の被曝量のわずか625分の1であった。放射線労働者の年間許容被曝量は、ガンのリスクが上がる最低のレベルとされる年間の被曝量の半分である。そして、このガンのリスクが上がるレベルと言うのは、放射線被曝致死量の80分の1である。心配する必要がない、と言っているのではない。バランスの取れた見方が必要だ、と言いたいのだ。
原子力以外のエネルギーの生産形態が何のダメージも引き起こさないのであれば、これらの影響はより大きなものとなるだろう。しかし、エネルギーは医薬品のようなものである。つまり、副作用がないなら、その薬は利かない可能性が高いのと同じだ。
殆どの環境保護論者と同じく、私も再生エネルギーの拡大を指示している。同時に、再生エネルギーに反対する人々の不満も理解できる。人々が気にいらないのは陸の上に建設される風力発電だけではなく、新しいグリッド(送電線や鉄塔)である。再生エネルギーの比率が上がるにつれ、電気を切らさないためにより多くの揚水貯蔵が必要になる。つまり、山間部の貯水池だが、これも人気がない。
再生エネルギーのインパクトとコストは、再生エネルギーが電力に占める割合が増加すると上昇する。エネルギーの貯蔵と冗長性の必要が増加するからである。もしかすると(実際の比較研究を見たことはまだないが)、再生エネルギーが総送電網に占める割合がある一定のところまでは、例えば50%とか70%までは、再生エネルギーは核エネルギーに比べて二酸化炭素の排出が少ないのかもしれないが、その一定のところを超えると核エネルギーのほうが二酸化炭素の影響が少なくなる、ということがありえるのかもしれない。
この後、氏は、自分は他のグリーンの人々と同じく、再生エネルギーが化石燃料による発電量を置き換え、さらに交通の手段としての石油、暖房の手段としてのガスに取って代わることを目指してきた、と述べた後、再生エネルギー、化石燃料を次から次へと槍玉に上げ、現在の産業、人口を支える電力供給を行え、安全でしかもクリーンなのは原子力だけ、という結論に達します。
そして、記事の結論部分はこうです。
『私は今でも原子力業界の嘘つきどもが大嫌いだ。今でも、無害な選択肢があるのなら原子力セクターをシャットダウンするのにやぶさかでない。しかし、理想的な解決はない。どのエネルギー技術にもコストが付きまとうし、エネルギー技術が存在しないことにもコストが付きまとう。原子力は今回の事故でもっとも厳しいテストを受けた。が、人間と地球に与えたインパクトは小さいものだった。福島の危機で、私は原子力発電賛成に回った。』
ちなみに、ガーディアン紙といえば、福島事故のわずか2日後、イギリスで反原子力の世論が高まるのを抑えるべく、イギリス政府が原子力業界に対して、福島第一原発の事故を過小評価すべく共同で宣伝戦略を策定することを呼びかけていた、というすっぱ抜き記事を6月30日付けで出しています。茶とら猫さんがこの記事の日本語訳を出していますのでご参考。また、つい最近では、ガーディアンは福島第1原発で働く「原発ジプシー」密着取材の記事も出しています。
モンビオット氏に対するクリス・バスビー博士の反論は、このサイトでお読みになれます。(英文)
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