週刊現代が全国1000地点の独自調査を発表しています。出来るだけ放射線の低そうなところを選んで(校庭のど真ん中など)測定しているらしい自治体、政府機関とは対照的に、週刊現代は放射線の高そうなところを探して測っています。
7月14日付け「現代ビジネス・経済の死角」より(計測単位はマイクロシーベルト時):
平泉駅前ロータリーの街路樹の下で、本誌記者はガイガーカウンター(線量計)のスイッチを入れた。
0.47、0.54、0.65・・・。
金色堂前の植え込みを計測した。
0.88---。
住宅地なら、避難を考えたほうがよいレベルの線量だ。他の場所も高い。
・参道入り口 0.75
・釈迦堂前 0.45
・阿弥陀堂前 0.36
・能楽殿前 0.64
・本堂前 0.57
・参道駐車場 0.77
この事実を駅前の商店主に知らせると、心底驚いた顔をした。
「ウソでしょう。だってここは福島(第一原発)から150km以上離れてるんだよ。ここより近い山形や米沢、仙台市内だって線量は高くないのに、平泉が高いなんてありえない」
本誌とて、せっかくの世界遺産ブームに水を差すために来たわけではない。だが、世界に知られる観光地になったからこそ、汚染されている事実に目をつぶることもまた、できない。
表を参照してほしいが、近くの栗駒山いわかがみ平で2.17、奥州市で1.35という驚くべき値が出ているからなおさらだ。
で、その表と言うのがこれ。(クリックすると新しいウィンドウに出ます。)
「この程度の低線量で大騒ぎして福島県民に失礼だ」と東北大の名誉教授が先日言い放った柏市は、
駅前ロータリーのアスファルト地上1mが0.51。地表面が0.75。十分に高いが、線量計が激しくアラーム音を発したのは、近くの側溝を計測した時だ。
1.09、1.32と数値が上がっていき、最高で1.68、10回計測した平均値も1.47と、軽々と1を超えてしまった。画面には真っ赤な「DANGEROUS(危険)」の文字が躍る。
週刊現代は、このような高線量地点の存在を説明するのに、群馬大学の早川由紀夫教授(火山学)のモデルを出しています。火山学者に放射能拡散が分かるのか、と思われる向きには、火山灰の飛散予測が出来る方なら、原子炉の専門家が放射能内部被曝の一般大衆への影響の有無を討論するよりもよっぽど信憑性がある気がしますがいかがなもんでしょう。
ふたたび週刊現代より:
その疑問を科学的に解明した人物がいる。群馬大学の早川由紀夫教授、専門は火山学だ。火山灰の拡散メカニズムをもとに、福島第一原発から出た放射性物質の動きを研究している。左に掲げたのが、早川教授が作成した「放射能拡散マップ」だ。元になっているデータは国や各自治体が発表した線量である。
よく見てほしい。千葉の東葛地域を汚染したのは北からではなく、太平洋越えのルートだった。早川教授が解説する。
「このルートが発生したのは3月21日午前。福島から海沿いに水戸方面に南下し、柏や流山にホットスポットをつくった」
だが、まだ疑問がある。途中の水戸市や鉾田市よりなぜ東葛が高いのか。早川教授が続ける。
「原因は雨です。3月21日、北から放射性物質を運んできた風と、南からの湿った風がここでぶつかって、放射能を含む雨を降らせたんです。その翌日に採取された東京都の水道水(松戸市に隣接する葛飾区の金町浄水場)から放射性物質が多く検出されたことも、これで説明がつく」
図にはいくつかの矢印が記されている。矢印の方向に進む、ナメクジの足跡のようなこの帯こそが、東日本にホットスポットを作った「放射能の足跡」なのだという。早川教授がそれぞれに説明を加える。
「データを分析すると、福島第一原発からの放射性物質の大量放出は、大きく4回あったとわかりました。
最初が3月12日の夜。南相馬から太平洋を北上して時計と反対回りに女川を経由し一関市に向かった。平泉を汚染したのはこのルートです。
2回目が3月15日の午前中。いわき市→水戸市と南下し、そこから3方向に分かれている。宇都宮方向に向かったもの、群馬方向に向かったもの、首都圏に南下したもの。軽井沢周辺を汚染したのはこの時の群馬ルートです」
そして最悪の放出が起きたのが、3号機の建屋が爆発した翌日の、3月15日夕方からだった。
「原発から北西方面に進み飯舘村などを徹底的に汚染し、そこから時計と反対回りで福島、二本松、郡山、那須、最終的には日光まで流れていきました」
このルートが、現在SPEEDIなどで公開されているもので、多くの国民はこのルートしかないと思っている。
実際はそうではなく、これが3回目。4回目の大放出が、前述した3月21日の、海越えで東葛を汚染したルートだった。
恐ろしいのは「原発からいつ放射性物質が大量発生したか、誰もわかっていなかった」という事実だ。
「多くの人は爆発が直接の原因で放射能が拡がったと思っているが、それは違います。イメージで言うと、爆発などで施設のどこかに穴などの不具合が生じ、ある時シューッと漏れ出す、という感じだと思う。
その証拠に、最悪の放出が始まった3月15日の夕方には、爆発的事象は起きていないのです」
これが何を意味するか。今後、爆発がなくても再び大量放出される危険性は十分にあるということだ。表面的に原発が落ち着いたからといって、けっして安心できないのである。
『恐ろしいのは「原発からいつ放射性物質が大量発生したか、誰もわかっていなかった」という事実だ。』と現代は言いますが、それは違うでしょう。
文科省が5月も半ばになってからこっそり出していた3月25日のWSPEEDIの予測図(ヨウ素131の積算表面沈着量、どこに放射能が飛んだか、目安になります)でもちゃんと分かります。図の中の、緑色の部分を良くご覧ください。早川教授の予測とよく合致しています。
政府も、政府の学者も、もちろん東電も、知っていたのです。黙っていただけです。
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