Thursday, July 12, 2012

【記録】政府は2011年3月11日の地震・津波・原発事故発生後、何時から福島原発付近の放射線量を計測していたのか?


答は去年の6月3日、経済産業省・原子力安全保安院の出した資料に出ています。

2011年3月12日午前8時9分、場所は大熊町大字熊字錦台。線量は毎時0.05マイクロシーベルト。測っていたのは、福島県。

福島第1原発1号機建屋で水素爆発が起きたのは、3月12日午後3時36分です

福島県は昨年事故以来、「国からも東電からも、放射性物質の拡散について情報はなかった」と主張し、SPEEDIの情報がメールで届いていたのを消去していたことを認めたのは今年になってからでした。何の情報もないのに地震・津波の翌日の朝から放射能測定を始めていた、というのでしょうか。

この保安院の資料によると、2011日3月12日に1号機の爆発以前に放射能を計っていたのは福島県と自衛隊です。以下、計測場所と時間と線量を一部書き出してみます。何も情報がない割には、原発の北西方向をきちんと測っているような気がするんですが、どうなんでしょうか。

福島県計測分:
午前8時9分、大熊町大字熊字錦台、毎時0.05マイクロシーベルト
午前8時15分、大熊町大字子入野字向畑、毎時0.06マイクロシーベルト
午前8時18分、双葉町大字新山字広町、毎時0.05マイクロシーベルト
午前8時25分、富岡町大字本岡字新夜ノ森、毎時0.18マイクロシーベルト
午前8時39分、浪江町大字高瀬字西原、毎時0.04マイクロシーベルト
午前8時39分、大熊町夫沢長者原、毎時0.3マイクロシーベルト
午前8時50分、浪江町大字高瀬字西原、毎時8マイクロシーベルト
午前8時52分、浪江町大字高瀬字西原、毎時14マイクロシーベルト
午前8時57分、双葉町新山、毎時4.5マイクロシーベルト

午前9時1分、浪江町大字酒井字堂場、毎時15マイクロシーベルト

午前9時19分、大熊町大字熊字熊町、毎時0.18マイクロシーベルト
午前11時44分、大熊町大字熊字熊町、毎時0.05マイクロシーベルト
午前11時57分、双葉体育館、毎時3.92マイクロシーベルト

自衛隊計測分:
午前11時50分、大熊町役場、毎時0.05マイクロシーベルト
午後12時、スポーツセンター、毎時0.03マイクロシーベルト
(略)
午後12時30分、ヘルスケア双葉、毎時0.3マイクロシーベルト
午後12時40分、ヘルスケア双葉、毎時1.65マイクロシーベルト

福島県は3月12日午前8時25分、富岡町で0.18マイクロシーベルトを計測した時点で、既に原子力発電所から放射能が漏出していたことが分かったはずです。富岡町なので福島第1なのか第2なのかは分からなかったとしても、通常の放射線量の4倍の線量が観測された時点で、事故だと分かったはずです。午前8時39分には大熊町夫沢で0.3マイクロシーベルトと通常の10倍近い線量を観測し、8時50分には浪江町高瀬で毎時8マイクロ、通常の200倍の放射線量を観測、更に2分後には同じ場所で毎時14マイクロ。

この計測をしておいて、福島県はこのデータをどうしたのでしょうか。原発立地自治体はともかく、一番の高線量が観測された浪江町に対して、何らかの通知を行おうとは思わなかったのでしょうか。通知をするのは国の責任だ、とでも思っていたのでしょうか。

自衛隊が午後12時40分に高線量を計測していたヘルスケア双葉というのは、双葉厚生病院に付随した老人介護施設のように見受けられますが、自衛隊が計測していた時点では、双葉厚生病院から避難は完了しておらず、患者さん、お医者さん、看護婦さんがまだいらしたはずです。


更に、福島県が計測を始めたのが12日午前8時9分、とこの保安院の資料ではなっていますが、双葉厚生病院の院長先生のインタビューによると(詳しくは院長の独り言ブログをどうぞ)、12日の午前6時半には防護服に身を包んだ警察官が「病院に入ってきて、「逃げろ」と」言われた、とのことです。この警察官は、福島県警だろうと思われますが、そうなると福島県は更に早くから、放射能拡散の情報を持っていたことになります。

保安院の資料は3月13日から15日までのモニタリング計測の結果も、計測していた組織別に記載しています。それを見ると、13日には日本原子力開発機構が走行サーベイで浪江、南相馬まで線量を測定しており、数箇所でサーベイメーターが振り切れたと思われる値を記録しています(「30マイクロシーベルト」以上の表示)。13日にも福島県は線量を測定しており、やはり数箇所でサーベイメーターが振り切れています。15日には理化学研究所の走行サーベイが行われ、常磐道沿いの地点を広く計測しています。

この情報を公表しなかった県も、国も、政府機関もひどいものだとは思いますが、おそらく彼らは大層恐ろしかったのではないかと思います。通常の4倍、10倍、100倍、200倍といった放射線量を各地で計測し、しかもサーベイメーターが振り切れるような場所まで出てくる。歯の根が合わない恐ろしさだったような気がします。だから隠したか。ふくいちマスコットのダチョウのように、砂に頭をつっこんだのでしょう。

資料には、地図も出ています。手書きで測定場所を書き込んであります。それを見ると、3月12日の第一回目のモニタリングの時点で、既に北西の方向をきちんと測定しています。

1回目モニタリング地図(8時9分~9時19分)


2回目モニタリング地図(11時28分~12時41分)


ここで私が大いに疑問であり不満なのは、米国エネルギー省から無人航空機を使った放射線の実測資料を3月20日までに受け取っていてそれを公開しなかった、と言ってマスコミが政府を「攻撃」(するふり)をし、政府がこれに対して「謝罪」する、というお芝居です。保安院の資料を見る限り、米国の資料がなくとも日本政府は12日の朝から実際に地上で放射能を計測して、詳細な情報ではなかったにせよ、原発の北西方向が高線量になっていく様を把握していたのです。

この保安院の資料が公表されたのは去年の6月3日。同時に保安院は、3月12日の朝から午後にかけて大熊町、浪江町、南相馬市でテルル132を検出していたことを公表しました。私は英語ブログにそのニュースを出したのですが、日本でほとんど何の反響もないのに驚いた記憶があります。

もう事故はおきてしまったんだから、後になってこのようなことが分かろうが関係ない、と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、事実をしっかり把握することは常に解決の第1歩だと思います。

1 comment:

  1. 貴重な情報をありがとうございます。この情報はおそらく地元民ではなく、福島県庁の職員や議員には伝えられたのではないでしょうか。

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