京大の小出さんは結局正しかったんでしょうか?
東大の松井教授の専門は原子核理論。科学論文などのPreprintをアーカイブする”arXiv”サイトに教授が5月2日アップした論文を、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)のテクノロジーレビューのブログが5月9日に紹介しています。(ブログの元の英文はこちら)
ブログによると、松井教授は原子炉が運転を開始した当初(7ヶ月から12ヶ月前)の原子炉内の放射性ヨウ素131とセシウム137の比率を推算、また、3月11日に原子炉が止まった時点での同比率を推算し、それと東電が行った実測値と比べたところ、
「4号機の冷却プールで採取した水のサンプルと、2号機付近の地下水排水設備で採取した水のサンプルは、異常な数値を示している。このデータが正しいとすれば、これらの核分裂生成物の一部は、地震後に再開した核分裂連鎖反応によって生じた可能性がある」
東電の計り間違え、という可能性ももちろんあります。
教授がアップした英語論文(9ページ)はこちら。教授は実際に”criticality”(臨界)という言葉を使っています。
以下、MITブログの5月9日付け記事の、英語論文を参照した上での全訳をお出しします(H/T あ):
The Physics arXiv Blog(物理学アーカイブ・ブログ)
2011年5月9日
福島第一原発で被災後に核分裂連鎖反応が再開していたと新研究が指摘
放射性副産物の分析結果から、震災で原子炉が損傷した後も核分裂連鎖反応が継続していた可能性が示唆されている。
原子炉からは様々な放射性副産物が生成されるが、それぞれの原子が崩壊して放射能が弱まっていく速度は物質の種類によって異なる。 とりわけ多く発生する副産物のひとつに放射性ヨウ素131があり、半減期は約8日。 やはり多く発生する放射性セシウム137の半減期は約30年だ。
原子炉が停止すると、ヨウ素131の放射能のほうが短期間で少なくなっていくため、両者の比率は数日のあいだに急激に変化していく。 したがってこの比率を測定すれば、核反応がいつ停止したかを判断する絶好の目安になる。
ただしここには複雑な要因も絡んでくる。なかでも重要なのは、ヨウ素131とセシウム137の比率は原子炉がそれまでどれくらいの期間運転され ていたかによって変わってくるということだ。
というのも、原子炉が運転を開始したあと、ヨウ素131の量は、半減期(8日)とほぼ同じくらいの期間で生成と崩壊が釣り合って平衡状態に達する のに対し、セシウム137のほうは半減期が30年と長いので、 平衡状態に達するにはヨウ素131よりはるかに時間がかかる。そのため、 原子炉の一般的な運転期間を考えれば、原子炉が運転されているあいだは基本的にセシウム137の量は増え 続けるといって
いい。
福島第一原発は3月11日午後2時46分(日本時間)にマグニチュード9の地震に見舞われた。運転中だった3基の原子炉はただちに停止した。
しかしおよそ一時間後、今度は高さ5mの津波に襲われる[原論文には「高さ15m超」とあり]。このせいで原子炉の電気冷却機能が破壊され、 原子炉温度が上昇し始めた。核燃料を覆うジルコニウムから水素が発生し、 それが水蒸気と反応して1号機、3号機、4号機で水素爆発を起こした。
多くの人が疑問に思っているのは、高温になった核燃料が融けたのではないか、融けた燃料が臨界質量に達して核分裂連鎖反応が再開したのではな いか、ということである。
今、東京大学の松井哲男教授は、福島第一原発の限られたデータから判断するかぎり、 核分裂連鎖反応が事故発生の12日後までに再開していたに違いな い、と指摘している[原論文では「12日」 という具体的な数字は出てきていない]。
松井教授によれば、その根拠は、原発周辺の数箇所および付近の海水で測定したセシウム137とヨウ素131の比率である。松井教授はまず、 原子炉が7~12ヶ月間運転されていたと仮定して、 原子炉内に存在したはずの両者の比率を計算した。これが比較のベースとなる。
その比率と、事故後に1号機と3号機のドレンで採取したサンプルの比率を比べ たところ、 核反応が地震発生と同時に停止したという見方と一致した。
ところが、2号機付近のドレンと、使用済み燃料棒を貯蔵する4号機の冷却プールのデータからは、 核反応がもっと遅い時点に起きた形跡が見られる、と松井教授は語る。
「4号機の冷却プールで採取した水のサンプルと、2号機付近のサブドレンで採取した水のサンプルは、異常な数値を示している。 このデータが正しいとすれば、これらの核分裂生成物の一部は、 地震後に再開した核分裂連鎖反応によって生じた可能性がある」と松井教授は指摘する。
この連鎖反応は事故発生後かなりの時間が経過してから始まったものと思われる。「2号機付近の異常なデータは、 相当量の核分裂生成物が事故の10~15日後に発生したと仮定しないかぎり辻褄が合わない」と松井教授は言う。
だとすれば、2号機では3月末まで非常に危険な状態が続いていたことになる。
データには疑問の余地もあると松井教授は指摘する。ひとつ考えられるのは、セシウムとヨウ素の化学的性質が異なるために、 原子炉から流れてくる過程で比率が変わったということだ[原論文には、「 両者の化学的性質が異なるために、それらの物質が見つかる環境によって(真水中か海水中か、 空気中か、エアロゾル状としてか)存在比が異なる可能性がある」 という趣旨のことが書かれている]。
しかし、どのような化学的プロセスによってそのような現象が生じたのかを 見極めるのは難しく、 同じ原発内でもこの現象が起きている場所と起きていない場所があるのがなぜかを理解するのはなおさら難しい。
もちろん、4号機の使用済み燃料プールと2号機で具体的に何が起きたのかは 、実際に現場を詳しく調べられる状態になるまでは突き止めるのが不可 能だ。
しかしそれまでのあいだ、津波後に本当は何が起きたのかをうかがい知るうえで、松井教授の分析は現時点で最も有力な仮説のひとつといえるのでは ないだろうか。
参考文献:arxiv.org/abs/1105.0242: Deciphering The Measured Ratios Of Iodine-131 To Cesium-137 At The Fukushima Reactors(「福島第一原発で測定されたヨウ素131とセシウム137の比率の意味を解き明かす」)
上記と正反対の意見のだが、興味のあるかたは是非 読んでいただきたいブログです
ReplyDeletehttp://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1304935317