英国のインデペンデント紙に7月26日付けで掲載されている記事です。ワタナベアツシ(仮名)さんという20代の作業員に焦点を当て、福島第1原発での下請け作業員の現実を描写しています。先日やはり英国のガーディアン紙が「原発ジプシー」と題して記事を出しましたが(私訳はこちら)、インデペンデントの記事はワタナベさんの言葉で事故当時の様子が語られ、ワタナベさんが理解する原発作業員の現状などが記載されているなど、ガーディアンとはまた違った面白さです。
いろいろ制限があるにせよ、日本の報道は原発作業員のことを記事にする時は大抵が名無しの集団としての作業員であることがほとんどですが、海外の報道は「個人の人間」を描写するのに長じているような気がします。
(しかし、月給たった18万円というのはいくらなんでもひどすぎませんか?)
元の英語記事はこちらです。
以下、インデペンデント紙記事(デビッド・マクニール記者)、大急ぎの私訳。
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若い原発労働者-自分の将来を犠牲にしてでも原発を止める意気込み
2011年7月26日
デビッド・マクニール(David McNeill)
ワタナベアツシさん(仮名)は普通の日本の20代の若者だ。背の高さは普通、がっしりとした体格で、生まれながらの懐疑主義者とでもいうような困惑した表情を見せる。東京の人ごみの中で、カジュアルな黒の服を着ている様は、非番の郵便配達夫か建設作業員のようにも見える。しかし、彼の仕事は地球上でも例のない類の仕事なのだ。それは、福島第1原子力発電所を止める、という仕事。
この仕事を、日本の3月11日の地震・津波の後で世界初の原子炉3重メルトダウンを起した発電所で行う、ということは、将来の健康問題への不安から彼は結婚したり子供を持ったりすることはなく、高齢になるまで生きることが出来ないかもしれない、ということを意味する。しかし、彼はそれを受け入れる。「この仕事が出来る人間は限られているんだ」、と彼は言う。「自分は独身で若いし、この問題を何とかするのが自分の義務だと思う。」
ワタナベさんは10年以上前に学校を出てからずっと、福島第1原発でメンテナンス作業員として働いている。彼が成長した1990年代には、1971年に原発の建設を決定した際の激しい論争や反対運動の記憶も薄れていた。高校を卒業したとき、就職先については家族の中でほとんど議論も出なかった。「まったく当たり前の選択だった」、とワタナベさんは言う。ワタナベ、というのは彼の仮名だが、仮名を使うのは彼の雇用主がメディアのインタビューを許可しないためだ。「第1原発は地元の空気みたいなものだった。怖いとは思わなかった。」
彼の仕事は、弁を開閉して配管内の圧力をチェックすること。仕事は好きだった。重要な仕事だと思っていた。「自分たちは安全なエネルギーを日本に、東京に供給する大事な使命を負っているんだ、と思っていた。それが自慢だった。」
月給は18万円だった。4月に福島第1原発に戻ることに同意して以来の月給も同じ額、それに毎日千円の手当てが付く。彼は「昼飯代」と呼ぶ。
3月11日、地震で原発が機能不全に陥ったとき、彼の周りで配管がシューシューと音を立てて捻じ曲がるのを見て、彼は恐ろしくなった、と言う。1週間、避難所ですごした彼は、上司から仕事に戻って来い、と必ず連絡が来るだろうと思っていた。連絡が来たとき、かれはすぐに同意した。誰にも選択権は与えられた。子供のいる既婚者に対する暗黙の同情は必然的にあったが。
原発の運転者である東京電力の下請けとして、彼と彼の同僚は雇用の食物連鎖のずっと下のほうに位置する。東電の正社員たちが食物連鎖のトップ。彼らはほとんどがホワイト・カラーの大学卒で、給料も条件も好い。東電の管理職、それには今回の危機の最中に姿をくらまし国中の笑いものになった清水正孝社長も含まれるが、実際に原発を動かしているブルーカラー労働者とは違って彼らは事務職のインテリ、という風にとられられている。
「(清水さんは)現場で働いたこともないし問題に直面したこともない。だからトラブルになったとき最初の本能は逃げることだったんだ」、とワタナベさんは言う。が、東電のボスに同情こそすれ軽蔑はしていない、とも言う。「ああいう人を追い詰めすぎると、自殺するかもしれないからね。」
最初の内、日雇労働者の数人かは原発の非常に高汚染された空気をものともせずに働いた報酬として、大金を与えられた、と彼は言う。「一日100ミリシーベルトじゃあほんの数日しか働けない。一日で一月分の給料じゃなきゃ、割りに合わない。会社は彼らを黙らせるために払っていた。将来白血病だの、他のがんにかかった場合を考えてね。自分には健康保険がある。日雇い労働者じゃなくて、社員だからね。」
ワタナベさんは、チェルノブイリ以来世界最悪の原子力災害が収束している、とするのは時期尚早だと言う。日本政府は先週、来年1月までに福島原発を収束させる工程は予定通りと発表した。しかし、東電によると、原発からは未だに一時間当り10億ベクレルの放射能が放出され続けており、壊れた3つの原子炉内のウラン燃料の状態は謎のままである。
「燃料は溶けた。でもそれが貫通したかどうか、分からない」、とワタナベさんは言う。「原子炉の底に落ちている。これが底を溶かして外に出て水と接触したら、とんでもないことになる。エンジニアの人たちが何とかしてコントロールしようと努力をしている。」
研究者たちは既に福島入りしている。福島県の人口は200万人。原発から出た放射能が人々に与える影響を調べるためだ。ウクライナのチェルノブイリ原発周辺の放射能に汚染された地域で10年以上研究をしたサウス・カロライナ大学の生物学者Tim Mousseau氏も、先週福島にいた。「いま私たちが言えることは、長期の被曝による健康への長期的な影響は、おそらく非常に著しいものになるだろう、と言うことです。」
ワタナベさんは、結婚するのをあきらめている。「女の人に、自分と人生を共にしてくれなんて言えない」、と彼は言う。「仕事のことを話せば、将来の健康、子供がどうなるか、心配するだろう。仕事を隠すわけにも行かない。」
なぜ人は危険で、死に至る可能性のあるような仕事をするのだろうか?ワタナベさんのように、「国」や「社会」への義務だ、と考える人々もいるかもしれない。勇気の誇示、という要素があることも否めない。ワタナベさんは、自分たちを侵略とその結果の大惨事に対する最後の防衛線として見た戦時中の若い神風特攻隊のパイロットに、自分を喩えている。
しかし理由はどうあれ、ワタナベさんは、彼の働く業界のトップとは比べ物にならないほど謙虚で、人情豊かで、ユーモアがある。若い会社事務員とほぼ同じ手取りで、彼と彼の同僚は普通の生活をするのをあきらめている。彼は総理大臣に会ったこともないし、地元の県知事にも、東電の社長にも会ったこがない。将来子供を持つこともないし、若くして死ぬかもしれない。別の世界では、彼は、ウォールストリートのトレーダーと同じくらい高給を取っているかもしれない。そう言うと、彼は笑う。
「自分が退職するときには、多分ペンとタオルだろうね」、と彼は言う。「それが仕事の報酬だ。」
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