『いま診ているのは40代前半の男性です。彼の家は福島第1に近い海岸沿いにありましたが、津波で破壊されました。その際に7歳の息子さんを亡くしていま す。かれは避難しなければならず、別の場所にアパートを借りようとしました。しかし、アパートの大家は彼に貸すのを拒否しました。彼が東電で働いているか らです。やっとアパートを見つけたとき、隣人たちが彼のアパートのドアに張り紙をしました。東電社員出て行け、と。』
ドイツのシュピーゲル誌の国際版(英語)に、福島第1原発で作業を続ける作業員の方々の心のケアをボランティアで行っている、防衛医科大学校精神科の重村淳氏のインタビューが載っています。
昨年3月11日の地震、津波で家、家族を失った人も多く、その上東電で働いている、という理由で差別にあっている方もおられる様子。重村氏は、それでも仕事を離れるように、という勧めはまずしない、それよりも、仲間と一緒に働くことで一体感を作り出す方が効果的、と言います。
肝心な情報は聞かれないと言わない東電本社の記者会見や東電のこれまでの事故、被害への対応のおかげで、東電、と聞くだけでののしる人、東電の社員の「苦労」が散見するような記事を「御用記事」にする人の気持ちも分かりますが、シュピーゲルの記事に見えているのは地震・津波・原子力災害の現地の被害者でもある東電社員、作業員の方々です。
記事からは、重村氏が東電社員だけを指しているのか、東電(福島第1原発)で働く、東電社員を含めた作業員全般を指しているのかは、やや不明です。単純作業の下請け作業員と区別しているので、東電社員と大手元請会社の社員で責任の重い位置で仕事をしている人々、という理解で訳してあります。
元の記事はこちらです→The Fukushima Psychiatrist: 'It's Amazing How Traumatized They Are' (Spiegel Online, 2/28/2012)
以下、記事全訳(私訳)。(後で姑息に表現を直すかもしれませんが、大筋は合っているはずです。)
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シュピーゲル・オンライン
2012年2月28日
福島原発の精神科医: 「作業員は心に驚くほど深い傷を負っている」
福島原発の大事故から既に一年近く過ぎようとしているが、重村淳は破壊された原発で働く作業員たちに心のケアを提供し続けている。シュピーゲル・オンラインのインタビューに応じた重村氏は、東電の社員が直面する大きな問題の数々を挙げ、多くの社員が仕事を辞めない選択をした理由を語る。
シュピーゲルオンライン: 昨年の5月から、あなたは福島原発で働く作業員に精神的なサポートを提供しています。どのような経緯でそのような仕事をやるようになったのですか?
重村: 実際、作業員の心のケアを私が担当している、というのはちょっと悲しいですね。しかし、東電はやることが沢山あって心のケアまでする余裕が無かったのです。震災の前はパートタイムの精神科医が福島第1と第2の作業員のケアをしていましたが、彼は南相馬なので通うには時間がかかりすぎるのです。警戒地域のことがありますから。福島第1と第2のヘルス・センターの看護士(婦)の方が何人か、私の出版物を読んで連絡してこられたのです。その後、東電に依頼されました。私はボランティアとして行っています。
シュ: 無料でやっているのですか?
重: 東電は払ってません。払ってもらいたいとも思いません。私の立場が悪くなりますから。利益追求の原子力業界にかかわりたくないのです。特に作業員の賃金が2割カットされた今ではなおさらです。それで、政府のプロジェクトという形にしたのです。東電は私の後釜をまだ見つけていません。放射線が心配でしょうし、イメージに傷が付くことも心配でしょう。だいたい、日本は精神科医の数が足りないのです。1995年の阪神大震災の後、精神的なサポートが大事であることを理解する人が増えました。しかし多くの人はまだ、精神科に通う人は頭がおかしいのだ、と思っている。今回の震災をきっかけに、更に理解が深まることを望んでいます。
シュ: 放射線のことは心配ではないのですか?
重: 怖くはありませんが、だからと言って不安に思っていないということではありません。私は福島第1には行ったことがありません。ヘルスセンターは福島第2にあり、第1からは10キロほど離れています。第2の放射線量は低いのですが、私の妻は私の今回の仕事をあまりよく思っていないようです。最初の頃は、「私を取るか、原発を取るか」と言っていました。それから何回か福島に行っていますので、妻もある程度は納得してくれたのではと思っています。
シュ: 事故以来、作業員の方々はどのようなことを経験してきたのでしょうか?
重: 5月[おそらく3月の間違い]に原子炉が爆発したとき、自分たちはこれで死ぬんだ、と彼らは思っていました。それでも、日本を救うために、作業を続けなければならなかった。作業員の多くは原発周辺地域から来ています。津波で家が流され、家族は避難を余儀なくされた。作業員たちは家を失い、家族は遠くに避難しており、東電で働いているから、という理由で、世間は彼らを責める。この災害を引き起こしたのは東電だ、と多くの人々は思っている。ヨーロッパとは違って、日本では彼らは英雄として捉えられてはいませんでした。あるとき、作業員のために新鮮な野菜を寄付してくれた人がいました。当時、東電は、警戒区域内で新鮮な食料を提供することが出来なかったのです。それでも、寄付は匿名で行われました。東電の作業員を助けている、と分かるのがいやだったからです。
シュ: 作業員の方々の現在の状況は?
重: 作業員たちは心に驚くほど深い傷を負っています。震災から2、3ヶ月経った時、福島第1と第2の東電作業員1800人を対象にアンケート調査を行いました。津波のような災害が地域を襲うと、一般の人の1パーセントから5パーセントが長期の精神的外傷(トラウマ)を負います。警察、消防など災害に対応する仕事の人たちでは、大体10パーセントから20パーセント。東電の作業員ではそれよりもずっと割合が高い。
シュ: そのような高いレベルの精神的外傷がもたらす影響は?
重: いま診ているのは40代前半の男性です。彼の家は福島第1に近い海岸沿いにありましたが、津波で破壊されました。その際に7歳の息子さんを亡くしています。かれは避難しなければならず、別の場所にアパートを借りようとしました。しかし、アパートの大家は彼に貸すのを拒否しました。彼が東電で働いているからです。やっとアパートを見つけたとき、隣人たちが彼のアパートのドアに張り紙をしました。東電社員出て行け、と。彼の放射線被曝量は非常に高かったため、別の部署に移らなくてはなりませんでした。今はデスクワークで、彼にとっては面白くない仕事だし専門とも違う。ガンにかかるのではないかと不安で、経済的にも苦しい。賃金がカットされ、家をなくしたからです。家族とも問題が起きている。母親は夫を津波で亡くし、自分を責めている。夫と孫を助けることが出来なかった、というのです。母親は泣いてばかりいる。仕事を終えて彼がアパートに戻っても、ほっと出来る場所ではないのです。
シュ: 彼らはなぜ東電を辞めないのですか?
重: それには理由が沢山あります。私が話をした限りでは、彼らは東電への忠誠心があり、会社を救いたいと思っている。金のため、という人もいる。福島第1で働くのは毎日3000人ほど。複雑な作業は東電社員や日立、三菱といった会社の社員が行う。簡単な作業は下請企業が雇った人々が行う。精神科医7人のチームで、責任の重い作業員を優先します。それだけでも1000人以上になります。その中で、特別のリスクがあるケースの治療に当たります。つまり、同僚や家族を失った人、あるいは経済的な問題を抱えている人です。全部の作業員を診たいのは山々ですが、それは不可能です。どこかで妥協しなければならなかった。
シュ: これ以上やっていけない、という人々にはどうアドバイスをするのですか?
重: 一番大切なのは、これまでの作業に感謝し、支援する、というメッセージです。休むようにアドバイスすることはほとんどありません。仕事を続けられるならそのほうがよいからです。さもないと、同僚から、あいつは弱い、と思われ、精神障害者と烙印を押されてしまう。[これまでの作業に感謝し、支援する、というメッセージを伝えることで、]自分たちはグループの一員であるという意識が生まれる。仕事から離れる、というのは最後の手段です。
シュ: 日本の人々は放射能をどの程度怖がっていますか?
重: 情報が交錯する中、人々は政府、専門家を信用していません。そのような状況で、噂や誤情報があっという間に広がる。危機的状況において、情報伝達は素早く、透明性を持ち、正確に行わなければならない。パニックを防ぎたければ、できるだけ多くの情報を公開して人々が危険を理解し、判断できるようにしなければならないのです。しかし、日本政府はこのようなリスク・コミュニケーション(情報伝達)についてあまり知りません。政府がメルトダウンに関して口をつぐんだため、人々はより不安になりました。
シュ: この災害が被災地にもたらした精神的な影響は?
重: 精神的な影響が明らかになるのは何年も先のことでしょう。東北地方の自殺率は上がると思います。今回の震災以前から、自殺は多いのです。冬は長く寒い。仕事もあまり無く、人々は我慢強いことで知られる。つまり、問題があっても話さないことが多いのです。それに加えて、放射線への恐怖がある。そのせいで、二つに割れる福島の社会が出てくる。例えば田村市では、半分は出て行きたい、半分は残りたいと思っている。これは家族、友人関係の危機でもあります。妻は出たいと思っても夫は残りたいかも知れない。放射線の問題で、社会関係が壊れてしまう可能性があります。
シュ: そのような対立はどうしたら克服できるのでしょうか?
重: 私には答えられません。「村に帰っても大丈夫ですよ」、と私が言えるわけもありません。どのようなケースでも、人々はどこに、どのように暮らすかについての広い選択を与えられるべきです。仕事も創出される必要がある。仕事があることで将来の見通しが付くようになるからです。避難者の間で大きな問題になっているのが失業です。避難者にとって、正規の職を見つけるのは難しい。誰も、いつ帰還するのか分からないからです。一年先か、10年先か、それとも一生戻らないのか。
Heike Sonnbergerインタビュー
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現場で働いている者は戦場の第一線で働いている兵士なのだから、心に深い傷を負うのは当然の結果だと思う。防衛医科大学校の精神科の医師なら、そういう視点を持てるはずだし、シュピーゲル誌にも持って欲しかった。
ReplyDelete①日本のため②東電への忠誠心③金のため、の三点の動機も弾が飛んでくる戦争と同じ。米軍の実情を併せ考えると金のためという動機が一番多いと想像する。
患者本人の答えとしてどれが一番多いのかは分からないが、金をあげるのを躊躇する傾向としては米国人より日本人の方が強いのではないか。
記事を読んだ範囲内での感想ですが、重村氏は病巣の深さを理解していない。それでも医師がいないよりはずっといいのでしょう。