Thursday, March 29, 2012

(こんなんで大丈夫?)千葉県印西市の除染風景パート2

タケノコから4月1日から施行の新しい安全基準を超えるキロ当たり180ベクレルのセシウムが検出された千葉県印西市。

印西市在住のブログ読者から寄せられた、印西市の小学校の「除染」風景を3月18日のポストでご紹介しましたが、更に追加で写真をお届けします。

市内の公園の風景。どこもこんなもの、とのコメント。これは、高線量の砂場の砂を入れ替え、その砂を公園内に埋めるために掘った穴から出た土だ、と言うことです。(どうやって砂を埋めたのか、3月18日の学校校庭の除染の写真を見る限り、あまり安心できなそうですが。)

中学校の校庭。幅跳びに使う砂場。シートをかぶせ、シートの飛散防止に古タイヤを置いています。

雨どいの下。毎時4.37マイクロシーベルト。除染後でも2.5マイクロだそうです。

印西市がとりわけ「適当」にやっているわけではないと思います。東北、関東の市町村は多かれ少なかれ、この程度の「除染」なのではと推測します。(それでも、やるだけまし。東京都などは、周辺の放射線量と毎時1マイクロ以上の差が出なければ何もしない、と公言しています。)

(H/T reader Chibaguy)

Monday, March 26, 2012

がれき広域処理に反対する、ささやかな声 (ゲストポスト)

このブログで今年の1月にご紹介した、ネクタリーナさん(「原発事故、放射能汚染を親しい人と語れない」)のお友達が書かれたものです。東京から山口に避難なさって健康を取り戻したものの、山口県防府市ががれきを受け入れる意向、と知って、以下に掲載する文とほぼ同文の手紙を山口県知事宛に送ったそうです。

ネクタリーナさんと似た素直な文章で、ご自分の体験から書かれています。

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私は昨年3月11日には東京で会社員として勤務していました。
福島原発爆発で放出された大量の放射性物質は風にのって東京にもプルームとしてやってきて、3月15日と21日の雨で降り注ぎ、東京を汚染しました。

放射性物質が含まれた雨に濡れると被曝することを知らなかった私は、仕事の帰りにその雨に濡れてしまいました。右手を怪我していたのに雨に濡れたのは本当に運が悪かったと思います。

クレーターのように皮膚に穴があき、ぼこっと血が噴き出るなど、かつて経験したことのない症状がすぐにでました。そしてその後、下痢がとまらない、倦怠感、頭痛、熱が下がらない、帯状疱疹、リンパの腫れ、紫斑がでる、小さな疱疹が繰り返しできるなどの症状に悩まされました。

11月に心臓が急に痛みはじめた時は、もうこのままでは死んでしまうと避難を決意しました。

日本のどこなら安全だろうと避難先を探した時に、幼い頃住んだことがある瀬戸内海沿いなら地震も津波も少ないし、福島原発からは950kmと離れているし、海の汚染も太平洋側よりはずっと少ないだろうと思いました。

何より東京ではもう水源地が汚染されたために水道水も汚染されていて、炊事はミネラルウォーターを使いましたが、お風呂や洗濯、掃除すべてが汚染された水道水を使うしかなく、もうこの状態では東京で生活していくのは無理でした。

また汚染が少ないであろう西の食材を買いたくても、産地偽装が横行していて、不安は尽きませんでした。

だから安心できる空気や水、食材を求めて山口県に避難することを決意しました。

昨年12月に仕事を辞めて山口県に避難してきた時は、心からほっとしました。
安心して呼吸できる空気、安心して使える水道、新鮮な地元産の野菜が手に入る喜び。綺麗な海や川、優しい山口県の人たちの人情に触れて嬉しくて涙しました。

洗濯ものを外に干せる喜び、マスクなしでも外を歩ける感激、体調もこちらに来てからだいぶ回復しました。
仕事をやめて、生活基盤は失ったけれどもとにかく生きていれば、道が開ける。そのことがとても嬉しかったです。

まだ関東に残っている友人たちに、山口産のお野菜を送り、「新鮮でとても美味しい」と喜ばれています。
みんな「山口県は素晴らしいところだね。山口県に移住したい」と言ってくれています。

しかし先日、防府市が瓦礫を受け入れる意向だと新聞で知りました。
その時もうこれ以上どこに逃げればいいのか、途方に暮れて悲しい気持ちでいっぱいになりました。

この山口県の素晴らしい自然は宝物です。これを汚染させることがないよう、心からお願いいたします。
これからも綺麗な海や空、空気、食べ物を守ってください。

そして私と同じように体調不良に苦しんでいる東日本の人々が安心して移住して来られる山口県でいてください。
今関東にいる多くの友人は避難したいけれども瓦礫受け入れの動向を確かめてからと、じっとことの顛末を注目しています。

是非そういう人たちを受け入れられるよう、「瓦礫は受け入れない」と宣言していただきたいです。

どうかよろしくお願いいたします。

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放射能に対する感受性はそれこそ個人個人によって大きく違います。ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告ですらそのことを明言しており、「平均的個人」を対象とする対策にはあまり意味がない、としています。

アメリカ、ヨーロッパ在住の読者は英語ブログの方に、去年の事故の最初の頃から、「放射線の影響としか思えない健康被害が自分に出ている」というコメントを寄せてきています。最近ではそれに皮肉を利かせて、「山下教授の言うように笑っていないせいだろう」と言い、その裏に「日本人はいったい何やってるんだ?」という気持ちが怒りに変わってきつつあるのが分かります。政治家、官僚のことではありません。一般の日本市民は何やってるんだ、と言うのです。

彼らは日本が放射能に汚染された地震・津波がれきを日本中で焼却するという恐ろしい事態に対して遠方から何をすることも出来ず、何もしていない(ように海外からは見える)一般の日本人が理解不能な不可思議なものに見えるのです。危険が迫ると頭を砂に突っ込むダチョウのように、放射能汚染を見たくない、知りたくないのは日本人の勝手だが、世界にこれ以上汚染を撒き散らすのはやめてくれ、と彼らは言います。

このネクタリーナさんのお友達の文章を英語ブログでも出してみようかと思います。ちゃんと声を上げている日本人もいる証拠に。

Saturday, March 24, 2012

大学研究者2人の好対照な放射能講座

京都大学の小出裕章さんは昨年の事故後早いうちから全国で最初は反原発(「脱原発」)を主にした集会、講演会などを開催していらっしゃいました。その後、放射能汚染について語りだされ、一つ信じたら全部信じなければいけない、と思い込む傾向のある日本人の間で、小出さんの放射能に汚染されたがれき、農作物などについてのお考えを巡って意見が割れました。

それはともかく、USTREAMに小出さんの2012年3月24日の飯能市での講演会のビデオが上がっています。全部で2時間近いビデオですが、1時間過ぎに群馬大早川さんの放射線マップが出てきます。小出さんはそれを使って、集まった飯能の人々に、浜岡が事故っても、柏崎・刈羽が事故っても、飯能はやられる、もうどこにも逃げるところがないんです、と非常にシニカルな口調でおっしゃっています。(1時間9分後)



Video streaming by Ustream

早川さんの地図を使っていながらまるでご自分の地図のような説明をされたのも驚きましたが、あの地図は去年の3月の天気と風向きに拠ったもので非常に個別的なものです。それを適当に回転させて、ほらそれでも飯能市は放射線管理区域ですよ、は違うんではないでしょうか。

更に、「どこにも逃げようがない。日本というこんな狭い国で、危ないからと言って過疎地に押し付けてきたわけですが、事故がおきてしまえばもう後は運だのみ、風がどっちから吹いてくるか、どこももう逃げるところがない、という状態に、既にこの日本と言う国はなってしまったのです」

「どこにも逃げるところがない」というおっしゃりようは、「どうせ汚染されていない食物はどこにもないのだから、みんなで食べて農家を応援しよう」と大差ない言い様です。実際には、福島の浜通り、中通りより東京、神奈川の方が汚染は少なく、関西以西は格段に少ないかほとんど汚染がない。関西以西の原発でも事故が起きる可能性があるのだから逃げるところがない、原発を許してきた一人一人が責任を取れ、というご趣旨だとは思いますが、この内容と伝達方法からは、では具体的にどうするのがいいのか、という個人の行動指針は生まれて来難いのではないでしょうか。

「暗きより 暗き道にぞ入りぬべき」 とでも言うような、ドツボの暗い心境に陥らせてくれる講演でした。このような情報伝達で得られるものは一体なんでしょうか?どこにも逃げるところがない、どこも汚染されている、だから原発を止めろ?

「遥かに照らせ山の端の月」 の部分はないかなあと探して見つけたのが、小出さんに放射線マップを無断使用された群馬大学の早川由紀夫さんの「明るく楽しい放射能リスク学習会」。ビデオは、2012年1月29日に逗子市で行われた学習会のビデオパート2です。

「明るく楽しい」と銘打ってあるものの、話自体はシビアなものです。それでも私が思わず爆笑してしまったのは、早川さんが学習会に保護者と参加している小さな子供たちの注意をひきつけるべく、ご機嫌を取っている様子でした。

注意散漫になってきた幼児に、「ああ、お名前はー?ああそう2歳?」 青プリンマークを指して、「これが変わるから、見ててねー」 「おそうじ、手伝ってねー」 「きれいにすれば住めます。食べ物には気をつけてください」 (子供が、「ばななー」) 「ああバナナは南の国から来たから大丈夫ね」

早川さんも、「どこも汚染されてしまった、食べ物も汚染されてしまった」と小出さんと同じことを言っています。それでも笑えるのは、小さな子供が好き勝手を言っても大丈夫なリラックスした雰囲気であることもさることながら、それではどうしたらいいのか、が個人のレベルで具体的に見えてくるからではないか、と思います。



Video streaming by Ustream

(追記3月25日: それにしても、事が放射能に汚染された災害がれきの話になると、早川さんが「広げろ、燃やせ」になるのには閉口。がれきの拒否は東北の人への差別だ、とどこぞで聞いたせりふ(がれきを米、農作物に置き換えて見ましょう)が飛び出すのには更に閉口。)

Thursday, March 22, 2012

日本政府が異議を唱えたIAEA提案の食物汚染地域の定義は、重大事故を起こした原発から300キロ圏内の地域だった

朝日新聞・Asia Japan Watch (AJW)2012年3月17日付け記事(英文)をざっと翻訳してみました。日本語の元記事があるのかもしれませんが、朝日のサイトからは(購読者ではないので)探せませんでした。ということで、私が勝手にやった私訳です。大急ぎでほとんど直訳でやったので、姑息に後で直すかもしれません。

日本語の元記事があったとすると、それを英訳したものを反訳して日本語にしても元の日本語には絶対に戻りませんのであしからず。強調は私です。

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Asia Japan Watch 2012年3月17日

日本政府はIAEAの食物汚染地域の定義に異議を唱えていた

大岩ゆり


2005年、国際原子力機関(IAEA)が原子力非常時に食物の摂取規制を行う地域を定義することを提案した時、日本政府は異議を唱えた。

その結果、ウィーンに拠点を置く国際的な原子力の監視人[である国際原子力機関]はそのような地域を定義することはなく、6年後に福島第1原発事故が起きてから、厚生労働省があわてて規制を導入する、という有様になった。

朝日新聞の請求に応じて公開された公文書によると、原子力災害に備え、農作物の出荷禁止その他の策を講じて放射能汚染された食物の摂取を規制する地域を指定しようとするIAEAの提案に、日本政府は異議を申し立てた。

IAEAは2005年2月、、重大事故の場合、1ギガワット級の原子力発電所の300キロ圏内で食物摂取規制を行うべきである、とする安全基準の草案を作成した。

文書によると、日本政府の原子力安全保安院、原子力安全委員会、文部科学省が2005年5月にIAEAの提案を検討した。

検討会の出席者は、日本政府の名で、IAEA提案の区域の具体的な距離の数字を削除するよう求めることを決定した。

出席者は、「食物規制区域を定義する前に、悪い評判[風評]やその他の要因を考慮する」必要性を理由として挙げた。また、報告書によると、彼らの意見は、「チェルノブイリのような大きな影響がある事故を想定するのは適当かどうかを考慮する」必要がある、というものだった。

ブラジル政府も同様の抗議を行った。結局、[原発からの]距離の明示は削除された。

昨年3月の東日本大震災が福島第1原発を麻痺させるまで、日本政府が設定していた[原子力]災害対策ガイドラインは、政府の災害対策本部が食物摂取の規制を行う方策の「考慮を開始する」、というものだけだった。当時の政府関係者は、事故の発生から食物摂取規制を実施するまで、「十分の時間がある」、としていた。

福島事故後、厚生労働省は慌てて暫定安全基準を設定したが、これは充分ではなかったかもしれない。

「今回の事故の後、暫定安全基準を超える放射性セシウムが福島原発から300キロ以上離れた静岡県のお茶の葉から検出されました」、と言うのは原子力安全委員会管理環境課の都築秀明課長。[だと思いますが、確定ではありません...。] 「今思えば、300キロ圏は大きすぎるということはなかった。チェルノブイリの経験で、人体に害の出るレベル以下の放射性物質が植物や家畜などに濃縮されうる、ということを私たちは知っていました。

原子力安全委員会は現在災害対応ガイドラインの見直しを行っており、食物、飲料の摂取規制を行う放射性物質のレベルの具体的な数字を定義する予定である。

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チェルノブイリ規模の事故を想定することが適当か、と(原子力推進の)IAEAにいちゃもんを付けておいて、「今思えば300キロ圏内は大きすぎることはなかったんですねえ」、などと今更言われても、「ふざけるな」としか言い様がありません。

決して忘れてはならないのは、日本政府がやったのは出荷の規制どころか、福島・東北・関東の野菜、肉、米を食べよう、というキャンペーンでした。福島県の計画的避難区域の牛、豚は、避難の期日までに大量に全国に売られました。野菜の検査は1市町村の1農場の1つの畑から作物1つ選んで行う、という検査でした。厚生労働省が慌てて食物の規制をかけようとする中、規制が何もなかった稲わら、シイタケ栽培用の培地(木屑など)が、汚染地域から自由に流通していました。

野田首相は外国人記者相手に、「原発事故の責任は個人にはない」と断言していましたが、事故発生後の対応には政府の政治家、官僚、一人一人に重大な責任があると思います。

Tuesday, March 20, 2012

【記録】保安院が握り潰した東電の放射能拡散予測

福島第1原発事故による放射能拡散のシミュレーションについては、文部科学省が握りつぶしたSPEEDIだけでなく、東京電力が事故当日の2011年3月11日から独自に放射能拡散予測を行い、シミュレーションの結果を経済産業大臣(当時の海江田万里)、福島県知事(当時も今も佐藤雄平)、大熊町町長、双葉町町長宛てにファックスで流し続けていたことは英語ブログで昨年の6月に取り上げましたが、保安院がそのことを認めて理由まで述べていたことは知りませんでした。(日本語ブログでもNHKの番組の紹介をして取り上げたと思うのですが、自分のブログの検索がうまくかかりません...。)

保安院がその情報を使いもしなかった理由がふるっているので、記録に残そうと思います。

その理由とは、

予測は保安院でなく、東電の考えだったため(あえて公表しなかった)

ふざけるな。

事故当事者の民間が何を言おうとも関係ない、と言うわけです。東電の拡散予測は福島第1原発の吉田所長の名前で出され、拡散予測マップのほかに手書きで住民の被曝予想、希ガス放出総量予測(約60万テラベクレル)が書いてありました。

保安院のふざけた答弁(あの西山審議官です)を報道した、今は消えてしまった毎日新聞2011年6月26日の記事を、このブログで見つけました:

東日本大震災:福島第1原発事故 拡散予測、公表せず 保安院、東電のベント前報告
 
東京電力福島第1原発1~3号機で、原子炉格納容器を守るため圧力を下げる『ベント(排気)』をする前に、東電が原発周辺への放射性物質の拡散予測をまとめ、経済産業省原子力安全・保安院に報告したにもかかわらず、一般には知らされていなかったことが25日、分かった。

住民が避難行動する際の一助になった可能性もあるため、事故の原因究明や検証をする政府の『事故調査・検証委員会』でも検証されそうだ。

拡散予測は、保安院が24日夜にホームページ上で公開した、計約1万1000枚の資料に含まれていた。

文書は、原子力災害対策特措法に基づき、3月11日の福島原発事故発生直後から送られたもので、同日は5月末までの分が公開された。

これによると、同原発1~3号機でベントをする前に、東電は燃料が損傷するなど重大事故が発生したと仮定。風向きや風速などを考慮しながら、1、3、5、24時間後に放射性物質の希ガスやヨウ素が拡散する状況などを予測した。

東電は結果を保安院や福島県、同県大熊町、双葉町の4カ所にそれぞれファクスで送付していた

一般に公表しなかった理由について、保安院の西山英彦審議官は、

予測は保安院でなく、東電の考えだったため(あえて公表しなかった)。公表すべきだったかは、検証される必要がある』と語った。

(毎日新聞 2011年6月26日)


東電の本店と福島第1原発が事故対応の真っ只中で発信していた情報は、保安院のサイトに今も出ています。ここです→http://www.nisa.meti.go.jp/earthquake/plant/1/230617-1-2.pdf

これは、その資料の一ページ目です。吉田所長の手書きのようです。

去年の3月、東電が資料を出さない、けしからん、と管前首相、政府が騒いでいましたが、何のことはない、出てきた中でもしかしたら一番重要な情報だった東電からの放射能拡散予測を握りつぶしたのは、ほかならぬ政府でした。

今年3月21日付けの東京新聞には、福島県が、文部科学省がSPEEDIを委託している原子力安全技術センターから、SPEEDIのシミュレーション結果を2011年3月11日からメールで受け取っていたにもかかわらず、担当がメールを削除していた、という信じられないニュースが出ています。東京新聞も記事がすぐ消えるので、こちらもコピーしておきます。

一番肝心な時期のシミュレーションを無いことにして、知らぬ顔をして被害者面を下げていたのですねえあの知事は。福島県は事故当初から、文部科学省のSPEEDI、保安院のシミュレーション、東電のシミュレーションを全部、受け取っていたことになります。

福島県が拡散予測消去 当夜から受信5日分

東京電力福島第一原発の事故で、福島県が昨年三月十一日の事故当夜から放射性物質拡散の予測データをメールで入手しながら、十五日朝までの分をなくしていたことが県への取材で分かった。この間に1、3、4号機で相次いで爆発が起きたが、県は原発周辺の自治体にデータを示していない。県の担当者は「(データの)容量が大きすぎて、消してしまった」と話している。

 文部科学省の委託で放射性物質の拡散を予測するシステム(SPEEDI=スピーディ)を運用する原子力安全技術センター(東京)によると、センターは震災当日の昨年三月十一日午後四時四十分、文科省の指示を受け福島第一原発から放射性ヨウ素が毎時一ベクレル放出されたとの仮定で試算を開始。一時間ごとに文科省や経済産業省原子力安全・保安院にデータを送った。

 国の現地対策拠点となったオフサイトセンター(OFC、福島県大熊町)と福島県にも送る予定だったが、震災で回線が壊れたため送れなかった。

 だが、メールの回線ならば送れることが分かり、十一日深夜、OFCに隣接する県原子力センターからの送信依頼を受け、予測データの画像を県側にメールで送信。十二日深夜には県庁の災害対策本部にも同様に送り始め、一時間ごとに結果を更新し続けた。

 ところが、県の担当者によると、十五日朝までメールの着信に気づかず、それまでに届いていたメールは消してしまったという。

 県は「予測は役に立たない」として、その後も送られたデータを公表せず、市町村にも知らせなかった。

 これらとは別に、県は十三日午前十時半ごろ、保安院からもファクスで拡散予測を受け取っていた。こちらも十二~十三日早朝までのデータだったため、「既に過去のもので、正確ではない」として公表しなかった。

 県の担当者は「送られてきたデータは二十キロ圏の範囲で、既に圏内の住民は避難した後だった。本来は国が公表すべきデータだが、結果として、住民が被ばくしたのは事実で、早めにお知らせすればよかった」と釈明した。

「データの容量が大きすぎて」って、いまどきどんなコンピュータ使ってるんでしょう福島県は。余りにいい加減なものを知らない言い訳です。

担当者は名前を公表され、重刑に問われるべき代物だと思います。保安院も同じこと。

残念ながら粘り気が欠けている日本は、これを「スルー」するんでしょうか?

Sunday, March 18, 2012

(こんなんで大丈夫?)千葉県印西市の小学校の除染風景

千葉県印西市在住のブログ読者が、市から堀場のサーベイメーターを借りて測った写真を送ってくれました。今年の3月9日の計測です。見ると雨が降っているようですので、線量は晴れている日とは異なるかもしれません。(特に土の線量など。)

印西市は千葉県の北西部に位置し、流山市、柏市、我孫子市を含むいわゆる「東葛地域」のすぐ東側になります。

小学校の校庭が再び「除染」されている風景。一度既に表土をはがしているそうです。


はがした土を埋めるための穴。黒いビニールシートを適当に敷いてあるだけ。


はがした土の放射線量: 毎時0.224マイクロシーベルト。


小学校1年生が土いじりする土の放射線量: 毎時0.268マイクロシーベルト。


1年生の教室付近の空間線量: 毎時0.275マイクロシーベルト。


はがした土の線量よりも、一年生の土いじりの土、教室近くの線量の方が高い。何をやっているんだか、学校も分かっていないんでしょう。

そして、道路に吹き溜まった「黒い物質」。


表面近くの線量: 毎時0.683マイクロシーベルト。


群馬大早川教授の放射線マップで、印西市はこの位置です。(改訂6版) 

Saturday, March 17, 2012

文部科学省がヨウ素129を調査する理由の可能性その2

昨日のポストでお話した私の妄想の続きですが、文部科学省が半減期が1500万年以上もあるヨウ素129を土壌サンプルから検出を行っている理由がもう一つ、思い当たりました。

読者の方がコメント欄でチェルノブイリに触れていらっしゃったので、チェルノブイリ事故ではこの核種は検出されていたのか、されていたとしたらどのように解釈され、使われていたのだろうか、と思ったわけです。そこで早速検索を掛けてみると、このような論文が見つかりました。

2002年12月に"Science of the Total Environment"誌に発表された、デンマークとチェコの研究者による論文で、概要に次のような記載が:

Soil samples from areas in Belarus, Russia and Sweden contaminated by the Chernobyl accident were analysed for 129I by radiochemical neutron activation analysis, as well as for 137Cs by gamma-spectrometry. The atomic ratio of 129I/137Cs in the upper layer of the examined soil cores ranged from 0.10 to 0.30, with an average of 0.18, and no correlation between 129I/137Cs ratio and the distance from Chernobyl reactor to sampling location was observed. It seems feasible to use the 129I/137Cs ratio to reconstruct the deposition pattern of 131I in these areas.

チェルノブイリ事故によって汚染されたベラルーシ、ロシア、スウェーデンの地域の土壌サンプル中のヨウ素129を放射化学中性子放射化分析、セシウム137をガンマ分光法によって分析し、比率を調べた。土壌表層部のヨウ素129・セシウム137の原子比率は0.10から0.30、平均が0.18で、この比率はチェルノブイリ原発からの距離に関係なくほぼ一定しており、当初のヨウ素131の拡散、沈降状況を再現するのにこの比率が使用できると思われる。

つまり、文部科学省が今になってヨウ素129の土壌中の濃度を検査させているのは、セシウム137との比率を出して事故初期のヨウ素131の拡散・沈降状況を再現しようとしているのではないか。

事故初期、日本政府がしたことは皆様もご存知の通り、「安全」を連呼することでした。事故初期の土壌サンプルでヨウ素131を測ったのは、3月下旬にIAEAが飯舘村の土壌を測ってキロ当たり2千万ベクレルあった、と発表した以外に記憶がありません。文部科学省がヨウ素131の実測を行ったのは6月になってからで、結果を発表したのは9月になってからでした。

そこで、半減期が非常に長いヨウ素129を測ることによって遅ればせながらヨウ素131の初期の拡散の実態をより正確にしよう、という文部科学省の目論みなのか。相変わらず素人の妄想の域を出ませんが、こっちのほうが可能性は高いかも知れません。

但し、上述の研究概要でも察することが出来るように、万一セシウム137との比率が「一定」でない場合、ヨウ素131の飛散分布状況の推定に使うことが出来ない可能性もあるのではないでしょうか。その場合、今度は比率が一定でないのはなぜか、という疑問が出てきます。偏在するヨウ素129がどこから出てきたのか-どの原子炉あるいは使用済み燃料プールか-を知る手がかりとなるのかもしれません。

ともあれ、文部科学省がヨウ素129の情報を発表するのはいつになるのでしょう。

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なお、飯舘村でヨウ素131が土壌からキロ当たり2000万ベクレル検出されていた件、お見逃しになっていた方のために再掲しておきます。2011年4月1日付け共同通信です。

IAEA、検出はヨウ素 測定値を2千万ベクレルと修正

 【ウィーン共同】国際原子力機関(IAEA)は3月31日、福島第1原発の北西約40キロにある避難区域外の福島県飯館村の土壌からIAEAの避難基準を上回る値が検出されたとした放射性物質は、半減期の短いヨウ素131で、測定値は1平方メートル当たり約2千万ベクレルだったと修正した。

 IAEA当局者は30日の記者会見で、約200万ベクレルとしていた。数字を取り違えたとみられるが、IAEAは独自の避難基準の2倍に相当する事実は変わらないとしている。

 測定日は3月後半で、ヨウ素131の半減期は約8日。当局者は「検出された値は限られた試料に基づいた初期評価で、追加調査が必要」と話している。

 一方、日本の原子力安全委員会は31日、国内では土壌でなく空間放射線量を指標にしていると説明。原発から半径20キロを「避難」、20~30キロを「屋内退避」とした設定は妥当で、避難区域の設定の見直しは必要ないとの考えをあらためて示していた。

原子力安全委員会だけでなく、当時の枝野官房長官も同様の発言をしていました。日本では土壌ではなく、他にも総合的に判断する、避難域を見直すことは考えていない、と。

この共同ニュースが出た4月1日、飯舘村では山下俊一教授が村の幹部に非公式のセミナーを開き、まったく心配は無い、飯舘村は風評被害と戦う福島のシンボルだ、とぶち上げていた、と田中隆作さんのブログにありました。

日本政府が飯舘村の住民に避難命令を出したのはその10日後でした。

文部科学省がヨウ素129の分布状況調査をしている理由はなんだろう?

(アップデート3月17日: もうひとつ、可能性のある理由を見つけました。最新のポストでお読みください。)

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ツイッターでどなたかのツイッターをたどってこのブログに行き着き、そこから文部科学省が2012年1月24日に発表した「福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の分布状況等調査について」という資料に行き着きました。

そこで私の目を引いたのは、プルトニウム241ではなく、ヨウ素129という核種。文部科学省の上記資料(2ページ目)によると、

2.2 ヨウ素土壌濃度マップの精緻化について
第一次調査において採取した土壌試料(100試料程度を予定)について、現在、ヨウ素129の核種分析を実施中。

とあります。

ヨウ素129という核種は耳慣れない核種でしたので、英語Wikiを調べてみました。

半減期1570万年、弱いベータ線、ガンマ線を出し、キセノン129に崩壊する。
天然にも微量存在するが、ほとんどはウラン、プルトニウムの核分裂によって生成される。

どうもピンと来ません。そこで更に読んでみると、

冷却された使用済み燃料中のヨウ素の6分の5はヨウ素129である。(残りの6分の1は安定ヨウ素127。)

え?そこで、Iodine-129、Spent Fuel Poolと検索を掛けてみたら、「ハイレベルの核廃棄物管理(High-level radioactive waste management)」という項目が出てきました。つまり、

ヨウ素129(半減期1570万年)はテクネチウム99(半減期22万年)とともに、使用済み燃料が数千年保存されたあとの放射能の大半を占める。また、使用済み燃料で非常に厄介なのは、超ウラン元素であるネプツニウム237(半減期200万年)、プルトニウム239(半減期2万4000年)。これらの高放射能核廃棄物を安全に生態系から隔離するには、高度な管理が必要になる。

更に検索を掛けると、米国のInstitute for Energy and Environmental SciencesのArjun Makhijani氏が米国東海岸時間2011年3月13日午後9時の時点で書いた「福島第1原発事故のこれまでに判明した事実、分析と今後に起き得る可能性」という5ページほどの報告書が引っかかりました。その3ページ目に、

While the quantity of short-lived radionuclides, notably iodine-131, would be much smaller, the consequences for the long term could be more dire due to long-lived radionuclides such as cesium-137, strontium-90, iodine-129, and plutonium-239. These radionuclides are generally present in much larger quantities in spent fuel pools than in the reactor itself. In light of that, it is remarkable how little has been said by the Japanese authorities about this problem.

ヨウ素131など、短命の放射性核種の量は[福島のほうがチェルノブイリより]少ないだろうが、セシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素129などの長命な放射性核種の存在のために長期的には問題がより大きい。これらの放射性核種は、原子炉の中よりも使用済み燃料プールにより多い量で存在する。それを考えると、日本の関係者が使用済み燃料プールの問題についてほとんど触れていない、というのは驚きである。

斜め読みですが、この報告書が注目しているのは、使用済み燃料プールがどうなっているか、ということに尽きるようです。報告書が書かれた時点ではまだ3号機は爆発していませんから、研究者が気にしていたのは1号機の使用済み燃料プールです。米国原子力委員会の報告書でも、事故の初期に米国が最も注目していたのが使用済み燃料プールであったことが分かっています。

文部科学省が今になってヨウ素129の土壌分布状況を調査している、ということは、やはり使用済み燃料プールからの放射性物質の拡散の可能性を考えているのではないでしょうか、と、素人考えで妄想しています。

それにしても、使った後の燃料を100万年単位(ヨウ素129に至っては1570万年)で管理しなければならないような発電システムは、元からやるべきでなかったシステム、ということでしょう。

Thursday, March 15, 2012

【必見】オーストリア・ツヴェンテンドルフ原発のバーチャルツアー

オーストリアのツヴェンテンドルフ (Zwentendorf) 原発は1972年にマーク1型沸騰水型原子炉を持つ原子力発電所として建設が開始されましたが、1978年の国民投票で稼動をしないことになり、一度も使わないままになっています。

英語ブログの読者、”Atmofritz”さんからのリンクで、ウェブ上でこの原発の内部を詳しく見ることのできるバーチャルツアーのページがあることを知りました。先日東電が2号機と3号機の地下に社員を送り込んでトーラス室の状況を調査していましたが、福島第1のように壊れていないツヴェンテンドルフ原発でさえ実際のトーラス、圧力抑制室の内側を見ると、何ともこの世のものとも思えない情景です。

(一時夜も寝ないではまっていたアドベンチャーゲームのシーンに出てくる、異星や異次元の訳の分からない機械類を見るようです。)

マーク1型格納容器トーラスの内側(オーストリア・ツヴェンテンドルフ原発):

1. http://zwentendorf.com リンクをクリック
2. ページのメニューバーの "Rundgang"をクリック
3. フラッシュウィンドウが別途開いたら、ウィンドウの中央に表示される"Zum virtuellen 360 Rundgang" をクリック
4. スクリーン右のメニューから、 "Kondensationskammer" (=圧力抑制室) をクリック
5. マウスをドラッグして、視点を変えることが出来ます。

これは模型などではなく、実際の原発(福島と同タイプ)の圧力抑制室。

スクリーンの右側メニューで、原発の施設の内部をいろいろ見ることが出来る。


上の写真は圧力抑制室の内側をフルスクリーンにして、スクリーンキャプチャーしたものです。フルスクリーンにするには、フラッシュウィンドウの右上の、「目」のアイコンをクリックします。大画面にしてマウスをドラッグするとものすごい迫力です。

圧力容器下部の制御棒挿入部分:

Tuesday, March 13, 2012

関西テレビ・スーパーニュースアンカー:「誰かがやらねば...福島第1原発作業員の素顔」

若い写真家の小原一真(おばらかずま)さんは去年の8月に福島原発に入り、作業員の姿、東電発表の写真からは伝わってこない敷地内の荒涼とした様子を写真に収めた方です。(例えば英語ブログのポストに出したこの写真など。)

原発事故1周年を期して写真集を出版、その中には、現在も原発で働く作業員の方々の素顔が、実名入りのコメントで入っているとのこと。

スーパーニュースアンカー番組バックナンバーより:

【小原一真さん】
「僕ら自身も守られてるわけですよね、彼らの働きによって。それが仮にヤクザに斡旋されていようが、お金の為だけに働いていようが、それははっきりいって関係なくて、実際彼らがやっている事によって今の僕らの当たり前の生活っていうのが成り立っている。にも関わらず自分がカメラマンという立場を考えた時に、なにも出来てないんですよね、それを思った時に誰かが彼らの思いっていうのを伝えなくちゃいけないですし」

日常の報道では顔が見えにくい作業員。
小原さんは、そんな彼らに正面から向き合い、顔や名前を出す承諾を取り付けました。

過酷な作業に当たる彼らはごく普通の人たちでした。
そして事故の被害者でもありました。

福島県川内村へ続く道です。
小原さんがこの道を走るのはもう100回を超えています。

小原さんが川内村に通うのは、福島第一原子力発電所で作業に従事する村の建設会社を取材するためです。

この会社では、放射性物質に汚染された水を通す配管作業などを請け負っています。
事故後の被ばく量は、多い人ですでに30ミリシーベルトを超えています。

【建設会社の社長】
「家族食わしていかなきゃいけない、公共事業がストップしている、仕事が全くないっていったら、お金払ってもらうためには東京電力助けなくちゃいけないというのもあります。けどやっぱり家族、自分が食べていくのが一番ですからね」

この会社では現在25歳から55歳までの10人が作業にあたっています。
中には事故の後、失業して加わった人もいます。

原発作業員には10代の若者までいるそうです。廃炉まで40年(で済むかどうか)、現在福島第1原発で働く作業員は毎日3千人を超えるそうです。これを40年続けなくてはいけない。

【小原一真さん】
「客観的にその原発の収束を考えた時に40年後にどうなっているんだろうって。40年後も業務が残っているってことは結局、今年生まれた赤ちゃんだって、今学校で勉強している子供たちだってそこで働いているかも知れないわけですよね、そういう事を考えると、本当にそれをしてくれる人がいなくなったらどうするんだっていう議論だとか、その人たちの労働環境だとかっていうのを見直さなくちゃいけないんじゃなのかなってすごく思います」


Sunday, March 11, 2012

ほとんど意味不明の外務省制作コマーシャル”Japan Power of Harmony” (日本 和の力)


震災1周年を記念して外務省が海外向けに作った4本のコマーシャル、外務省のページによると、

東日本大震災による風評被害を解消し、日本のイメージ回復・向上につなげるため、日本及び東北の魅力を海外に向けて発信するテレビCMを作成しました

とのことですが、4本の内の”Japan Power of Harmony”というコマーシャルは明らかに世界のビジネスを対象としたもののようで、他のコマーシャルとは違って日本の技術力をアピールするべく(と外務省は言っています)、全編にナレーションが入っています。

これがなんというか...。英語の単語を確かに使っているんですが、とても英語で理解が出来ない。意味不明のすごい代物なので、ご紹介します。

コマーシャルは外務省のYoutubeチャンネルにあります。埋め込みをさせないという制限が付いているので、このリンクでご覧いただくしかありませんが、ナレーションの英文書き起こしは以下の通り:

Japan, a country of perseverance and spirit of harmony.
Spirit born from the severe nature of our nation.
And that reality has formed Japan, through endless innovation and cooperation.
"These innovation from my country of Japan will ultimately contribute to the entire health of our society, to the entire advancement of the human race."
Now, more than ever, the world is facing challenge.
And Japan offers our unique experience for everyone.
We know, we learned, power is created from the cooperation of people.
It's the power of harmony.
Together for a better future.
Japan.

最初にコマーシャルを見たとき、英語としては私にはなにがなんだかさっぱり分かりませんでした。背景にある日本語の想像はなんとなく出来ましたが、なんかへたくそな、学生レベルの英作文(日本語を英語にする、という意味)だなあ、というのが第一印象。何を誰に訴えたいのかをまるで考えないでただ訳文をつくった、という感じです。

さて、この英語は理に適った日本語になるんでしょうか?はっきり言って、無理です。羅列されている単語からなんとなくイメージをわかせることは出来るでしょうが、その手法はいかにも日本。論理的なメッセージを貴ぶ国際ビジネスに受けるとはとても思えません。

おそらく原文は外務省の政治家か官僚の書いた日本語か、訳の分からない英語。それを基にしてコマーシャルを作れ、と指示されて、原文を翻訳したか、訳の分からない英語を多少ましにしたかして英語のナレーションをつくって適当な画像をつけた、というところでしょうか。(あくまで私の推測。違うかもしれません。)

あえて日本語に翻訳してみます。(注意: まったく無意味の作業である可能性大。)まずタイトルの”Power of Harmony” を「和の力」と訳しましたが、これは聖徳太子の「和を以ってこれを貴しとする」、の和のつもりです。

Japan, a country of perseverance and spirit of harmony.
日本、辛抱強さと和の精神の国。

Spirit born, from the severe nature of our nation.
精神は、私たちの国の厳しい自然から生まれました。(という意図だとは思うんですが、英語だけを読むとそうではなく、「この精神は日本という国あるいは国民の性質が厳しいものであることから生まれました」みたいなことになってしまう。第一、日本の自然は厳しくなんか無いですよ、世界の各地に比べたら。物成りの良い、温帯です。)

And that reality has formed Japan,
そしてこの現実が日本を作り上げました。(どの現実だか全く意味不明)

through endless innovation and cooperation.
限りない技術革新と協力を通して。(まったく意味不明)

(ここで、コヤリ・ユキオさんという方が登場します。国際宇宙ステーションに資材を届ける補給機の宇宙航空研究開発機構プロジェクトマネージャーとの字幕が出ます。)

"These inventions from my country of Japan will ultimately contribute to the entire health of our society, to the entire advancement of the human race."
「私の国日本からの発明は、私たちの社会の健康に、全人類の進歩に、究極的に寄与します。」 (まったく意味不明。)

Now, more than ever, the world is facing challenge.
現在、前にもまして、世界は問題に直面しています。(世界の前に日本が直面している問題のほうがよほどすごいと思うんですが。)

And Japan offers our unique experience for everyone.
日本は、日本のユニークな経験をすべての人に分かち合います。(放射能のことみたいですね。皮肉。)

We know, we learned, power is created from the cooperation of people.
私たちは知っています。力は人々の協力で作られるのです。

It's the power of harmony.
和の力。

Together for a better future.
共によりよい未来に向かって。

Japan.
日本。

日本語にすると、単語を拾い見てなんとなく分かったような気になるでしょう? 英語だけ読んで、聞いている外国人には、おそらく、「なんとなくわかったようなわからないような、よく考えたらぜんぜん分からないし意味不明」だと思います。このコマーシャルを見て、「わあ、日本てすごい技術があるんだ!」「日本のイメージが良くなった」、などと感心する外国人がいるとしたら会ってみたい。(今英語ブログ読者に聞いています。)

金を使ったんでしょうがその割にはちゃちな画像で、画像に何の脈絡もない。

さてこれは電通か博報堂か。

広告のコピーのあまりのひどさに、これは大臣クラスの政治家の発案であるような気がします。英語ブログ読者の一人のコメントは、

「あまりにひどくて、かえって可笑し味がある。1980年代の安っぽいコマーシャルを見ているようだ。」

まあそんなところが妥当でしょうか。1985年プラザ合意が及ぼした経済への悪影響を軽減すべく始めた低金利政策が生み出した不動産バブルがはじけるまでの1980年代は、日本の多くの人々が裕福に感じた最後の年だったかも知れません。

Saturday, March 10, 2012

「助けあいジャパン」で東北ボラツアーに行こう!という広告

をたまたま見たのは、共同通信のサイトでした。「ボラツアー」というのは多分「ボランティアツアー」を単に短くしただけだろうとは思いましたが、なんとなく政府が民間のふりで作った広告バナーのように見えたので気になり、クリックしてみました。

クリック先はこのページ。思ったとおり、宮城、岩手、福島の被災地に、ボランティアを送り込むためのパッケージツアーを取りまとめて紹介しているページでした。努めて漢字の使用を抑えようとしている努力が窺えるページには、次のような(まさに)宣伝文句が:

ボランティアって大変そう。 経験のない私には不安。 そもそも申し込み方法もよくわからない…
そんなあなたには、現地への交通や宿泊場所などがセットになったボランティアツアーがオススメです。ツアーに参加することは、個人で現地に入るより、現地のボランティアコーディネータの負担軽減や道路渋滞の緩和にもつながります。
「週末だけ」や「観光つき」など、様々なオプションからあなたに合ったボランティアを見つけて、気軽に参加してください。さあ、ボランティアへ。ボラツアーで、東北へ。

サイトのヘッダーには、日本の国旗の日の丸をハート型に意匠したように見えるロゴの右に、「復興庁提携プロジェクト」との記載が。政府関連なのは間違いありません。


更に、ページの一番下にあるリンク、「助けあいジャパンについて」のリンクをクリックしたところ、行き着いたページには、

助けあいジャパンは、もともと阪神大震災の教訓から始まったプロジェクトです。

発案者の佐藤尚之(さとなお)は、阪神大震災(1995年1月17日)の被災者でした。
そのとき強く感じたのは「必要な情報が、必要な人と場所に届いていない」ということ。...

彼は、東日本大震災があった翌日、以前一緒に仕事をしたことがある政府高官にメールを出しそう提案しました。そして、その翌日にサイト構成案も含めて実際に提案しにいき、政府の理解を得て、同じころ設立が決まった内閣官房「震災ボランティア連携室」と連携したこの民間プロジェクトが始まったのです。

いかにも一個人の市民ボランティアのような書き振りですが、一市民が政府高官と仕事をする機会などそのへんに転がっているわけでもないでしょう。

それに、書き方が何というか、「テレビのコマーシャルみたいだなあ、なんだろうこの違和感」、と思い、この方の名前をグーグルしたところ、たどり着いたのはこのページ。そこにあった記載は、

佐藤尚之

広告キャンペーン・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター/ウェブ・ディレクター。

2008年現在、株式会社電通に勤める。

「スラムダンク 1億冊感謝記念」を著者の井上雄彦氏と手がける。

ウェブ上では「さとなお? (http://www.satonao.com/)」というHNで活動している。


電通?

そこで、記載のサイトをクリックしてみると、プロフィールのページに、

大学(文系)まで東京にいて、広告会社に就職してすぐ関西へ転勤。14年間、関西でCMプランナー&コピーライター。
2000年に東京へ転勤。ウェブ・プランナーを経て、現在、ネットを中心に、コミュニケーション・デザインを主な領域とするシニア・クリエーティブ・ディレクター/ソリューション・ディレクター。
受賞歴としてはACC賞、JIAAグランプリ、カンヌ銅賞、日刊新聞広告賞グランプリなど。本業についての本「明日の広告」も刊行。10刷のベストセラーに。出版後講演もとても多くなっている。他には、内閣官房「国民と政治を近づけるための民間ワーキンググループ」にも参加。

内閣官房のワーキンググループ? このプロフィールには、電通とは一言も出ていません。

3月11日のエントリーには、

「助けあいジャパン」サイト、今日、リニューアルしています。
「復興状況マップ」はより見やすく、「みんなのアクション」も名前を変えてパワーアップ、新コーナー「雇用を生み出すアイデア実例集」も始まりました。 「現地からのレポート」もYahoo!連携で生まれ変わりました。人気コンテンツ「助けあいの入り口」「きょうの政府・省庁情報」も充実してます。ぜひぜ ひご覧ください。

この方が「助けあいジャパン」のサイトを運営しているのはこれで間違いありません。

「きょうの政府・省庁情報」? なんだか思いっきりいやな気分になりました。こんな風にして、大手広告会社と政府が一体となって、市民がどのように考え、どのようなことを行うのかを誘導する。

更に、震災について英語で世界に発信しよう、という活動も、「助けあいジャパン」は行っているようです。これがまたひどい。何を言うかまで指導しています。(強調はリンク先のページのものです)

世界に向けて情報を発信することは私達自身のためでもあります

今回世界に向けて情報を発信することは私達自身のためでもあります。情報発信を通じてこの1年間に何があったのかを整理しましょう。まだたった1年です。被災地は復興しておらず、福島は日本中・世界中から未だ注目を集めています。

この1年間に私たちが受け取った世界各国からの援助を再確認しましょう。メディアには報じられなかった援助・支援が多くあったはずです。そのまま埋もれさせるのはあまりにもったいなくて心苦しいです。今回のキャンペーンを通じて、昨年私たちを応援してくれた人たちに向けて、今度はぜひ私達が感謝の言葉を発信しましょう。

私たちが復興に向けて何をしていくのか、日本の現状を確認しその意志を世界に向けて発信しましょう。

さらにツイッターの投稿を勧める箇所には、

2 特定の単語を利用して投稿しましょう

Thank you, help, still devastated, change, hopeといった単語を使って英語で震災で思ったこと、感謝や助けあったことなどをつぶやいて世界に発信しましょう。

Change, hopeはオバマ大統領のおかげですっかりけちが付いた単語。ああいかにも広告会社。

さて、「助けあいジャパン」のボラツアーとかいうページに戻ってみますと、そこに出ているツアーにはちょっと怖いものが。

  • 宮城県山元町への日帰りツアーで、側溝の泥掻き、いちご農園の復興支援。ここは宮城県では高汚染の場所です。

  • 福島県でのボランティアツアーをやっている「絆ジャパン」、申込書を見ると、現地のお弁当500円の購入をお願いします、との記載も。

  • 福島県南相馬市で花を植えようボランティアは5月。南相馬市の各所で、非常に高濃度(最高はキロ当たり300万ベクレルを超えます)の吹き溜まりのような黒い物質が発見されています。

NPO、NGOなどの団体が日本でもこの10年ほどで俄然増加し、震災・原発事故を機に更に倍増した感がありますが、政府、あるいは企業が自分たちの権限、最良で行うのではなく、民間、ということにしてしかも企業の根を隠してボランティアとして行う。

先日外国人記者クラブに対して行った会見で、野田首相は「福島事故の責任はどの個人にもない」と断言していましたが、除染、復興、なんにしてもNPO、NGOボランティア扱いでことを進めれば、国にも企業にも責任はなくなるんでしょう。

誰も責任を負わない、ふわふわとなんとなく、というのは大多数の日本人には心地が良いのかもしれません。原発事故と放射能汚染さえなければ、なんとなく何も知らなくても困らなかったのでしょうが。

Thursday, March 8, 2012

福島第1原発:放射性物質を多量に放出したのは2号機のドライベントであった可能性?

東京大学の研究者が去年の4月に福島第1原発付近、飯舘村などで放射能計測のための土壌、植物、水などのサンプルを取ってから一年近くたってようやっと出版された論文に、非常に面白いグラフがありました。(リンクでは概要だけですが、英語ブログ読者が送ってきてくれた論文のPDFからコピーしました。)

グラフは、福島第1原発正門付近の空間線量を時系列表示したものですが、最大の跳ね上がりを見せているのが3月15日午前0時の付近、その部分の説明として、「2号機のドライベント」、とあります。

確認のために去年の3月の情報をチェックしてみました。産経新聞の2011年3月21日付けの記事によると、東電は2号機のドライベントを3月16日から17日の間に行った、としていたものの、21日に訂正し、ドライベントは3月15日の午前0時から数分行った、とあります。

このドライベントが実際に行われたのかどうか、内閣の事故調査委員会の中間報告で当該部分をさがして見ました。

IV 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処 228ページ以降に、2号機の格納容器ベント実施状況が記載されています。231ページ、232ページに、3月15日午前0時前後の対応が次のように記載されています (強調は私です):

⑤ この頃、吉田所長は、2 号機について、D/W 圧力計及びS/C 圧力計の指示値によれば、S/C 圧力がラプチャーディスク作動圧(0.427MPa gage=約0.528MPa abs)よりも低い一方で、D/W 圧力が上昇しているため、D/W 側の原子炉格納容器ベントラインを構成しなければ、D/W の圧力が上昇して原子炉格納容器が破壊されると考えた。もっとも、この点について、実際のS/C 圧力は、S/C 圧力計が指し示す値よりも実際には高かったものの、原子炉格納容器ベントライン(S/C側)にあるS/C ベント弁(AO 弁)の開状態を維持できなかったが故に、ラプチャーディスクが破壊されなかった可能性も十分考えられる。

いずれにせよ、3 月14 日23 時35 分頃、吉田所長は、テレビ会議システムを通じて、本店対策本部とも相談の上、2 号機のD/W ベント弁(AO 弁)小弁の開操作を行い、D/W ベントの実施を決めた

原子炉格納容器ベントラインは、原子炉格納容器外に出る配管が、それぞれD/W 側とS/C 側に分かれているものの、途中で両配管が合流し、原子炉格納容器ベント弁(MO弁)のある配管を通って排気筒から大気中に排出する構造となっていた(資料Ⅳ-24 参照)。

そのため、D/W側の原子炉格納容器ベントラインを構成するには、この時点で、原子炉格納容器ベント弁(MO弁)が既に開となっていたため、D/W ベント弁(AO弁)の大弁か小弁のいずれかを開とすればよかった

また、D/W ベントは、S/C ベントと比べ、サプレッションプール内の水を通さずに、放射性物質で汚染された気体を大気中に放出するため、S/C ベントを優先することとされていたが、吉田所長は、D/W 圧力が上昇し原子炉格納容器破壊の危険があるためやむを得ない措置と考え、2 号機のD/W ベントの実施を決断した。

また、本店対策本部も吉田所長と同様の考えであり、異論を唱える者はいなかった。

3 月15 日零時過ぎ頃、発電所対策本部復旧班は、1/2 号中央制御室において、2 号機のD/W ベント弁(AO 弁)小弁の電磁弁励磁を実施して開状態とし、2 号機T/B大物搬入口内側に設置していた可搬式コンプレッサーから送られる空気によってAO 弁を開いて、ラプチャーディスクを除く原子炉格納容器ベントライン(D/W 側)を構成した。しかし、その後数分以内にD/W ベント弁(AO 弁)小弁が閉であることが確認された。

その後も、2 号機について、D/W ベント弁(AO 弁)小弁の開操作を実施したが、D/W 圧力計によれば、同日7 時20 分頃に至ってもなお0.730MPa abs を示すなど、D/W 圧力は0.7MPa abs 台を推移し、顕著な圧力低下傾向が認められなかったため、D/W ベント弁(AO 弁)小弁の開状態を維持することはできなかったと推認される

⑦ 結局、2 号機については、S/C ベント及びD/W ベントの実施を試みたが、これらのベント機能が果たされることはなかったと考えられる

東大の研究者の論文の記載と政府の事故調査委員会の中間報告のどちらも正しいとすると、「ドライウェルのベント弁小弁を開けてベントラインを構成してベントを試みたものの、数分以内にその弁が閉じていることが確認された、ドライウェルの圧力は低下傾向が認められなかったため、ベント機能は果たされなかった」、と政府事故調査委員会が判断したそのベントによって、原発正門の空間線量が1万2千マイクロシーベルトに跳ね上がったことになります。

論文には、提出されたのが2011年8月22日、さらに12月24日に校正した、と記載があります。政府事故調査委員会が中間報告を発表したのは12月26日ですから、最新の情報が行き違った可能性はあります。また、全くの素人考えですが、「ベント機能は果たされなかった」、と判断されたベントは実は機能しており(つまり、ドライウェルの圧力計が壊れていた)、午前0時以降ベントをするごとに実は放射性物質が放出されていた、という可能性もあるような気がします。

ちなみに、2号機のドライベントの実施を東電が政府や周辺住民に通知したかどうかは不明です。先の産経新聞の記事を見る限り、そもそも日にちを間違って発表していたくらいですから通知はしていないように思われます。もっとも、東電は1号機のベントを3月12日に行った際にも原発の作業員全員に通知をせず、知らずに外で作業していた作業員もいた、という記事がありました。

ドライベントは水を通さないため、水を通すウェットベントでは出ない核種まで放出されます。

上掲のグラフで、「2号機のドライベント」の右側に次に出るピークは4号機の水素爆発の後に現れますが、水素爆発の時刻(午前6時)よりは後のような描き方になっています。ピーク自体には何の説明も付いていません。2号機の圧力抑制室で起きたと思われる何らかの事象(政府、東電は爆発ではない、と言っていますが、では何だったのかについては未だに口をつぐんだままです)によって引き起こされた、とも考えられます。また、引き続き試みていた2号機のドライベント(上記委員会報告書)が実は成功していて、放射性物質が放出していた、という可能性もあるのではないかと思います。(あくまで素人考えです。)

「2号機のドライベント」に次いで大きなピークには、「3号機からの煙」という説明が付いています。3号機から白煙が上がっているのが確認されたのは3月16日の午前8時30分、午前10時40分には原発正門での放射線量が毎時1万マイクロシーベルト(10ミリシーベルト)に跳ね上がった、と2011年3月16日付けの朝日新聞が報じています。

とすると、東北、関東の広範囲にわたって放射性物質を拡散したのは1号機、3号機、4号機の爆発ではなく、2号機のドライベントまたは圧力抑制室の破損、3号機から上がり続けていた煙(3月21日には使用済み燃料プールの上部から黒煙が上がっていました)であった可能性がある、ということなのでしょうか?

それにしても、このグラフを含め、事故初期に計測した放射能測定データ(ネプツニウム239を含む核種検出データ)がピアレビュー誌に掲載されるまで11ヶ月近く表に出てこなかったのは、つくづく残念です。

Sunday, March 4, 2012

宮城県南三陸町町役場(防災対策庁舎)の一年後

一年前 (南三陸町の魚屋さんのサイトから):



津波から一年後(2012年3月4日放送のフランスのラジオ番組のページに出ていた写真):



一年後かどうかははっきりしませんが、雪が積もっていますので、去年の冬以降の写真ではあるでしょう。

Saturday, March 3, 2012

福島原発事故独立検証委員会を設立した日本再建イニシアティブの理事は日本ツイッターの代表

福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書が2月28日に発表されましたが、面白いことにこれを報道したのはいわゆる大手マスコミのみ。日本記者クラブでの記者会見だったので、いわゆるフリーのジャーナリスト、記者が会見の場に入れなかった、ということなのかな、と最初は思っていましたが、この報告書を「いかにも民間のような体裁で発表した、体制側の発表に過ぎない」というようなツイートを散見し、一体この委員会の背景は何だろうとネットで簡単に検索にかかる範囲で見てみました。

まず、この委員会を設立した「民間団体」とは、日本再建イニシアティブという一般財団法人。親米保守派といわれる元朝日新聞の船橋洋一氏が理事長として発足した団体、ということで、民間とは名ばかり、という批判が出ているのでしょう。

この日本再建イニシアティブという機関でなぜか気になったのが、理事の近藤正晃ジェームスという日本人離れしたお名前の方。ウィキのリンクを辿ったら、このような記載がありました。

近藤正晃ジェームス(こんどう まさあきら ジェームス、1967年12月9日-)は日本の実業家、学者、政策立案者、社会事業家。 企業経営、政府の政策立案、社会事業の経営等の分野で、実務家および研究者として活動。 現在は、Twitter社の初代日本代表。また、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授、内閣府本府参与、TABLE FOR TWO International共同創設者、一般財団法人 日本再建イニシアティブ専務理事、一般財団法人 教育支援グローバル基金(ビヨンド・トゥモロー)代表理事等として活動。 世界経済フォーラム(ダボス会議)によりヤング・グローバル・リーダーに選出。

まったくいわゆる体制側の、国際エリートという履歴ですが、このほかに、GEの役員も務め、さらに、『2011年より、Twitter日本代表に就任。』

え?

そこでツイッターに行ったらこのような発表が。(強調は私です。)

Twitter 日本代表の就任に関するお知らせ

2011年4月18日月曜日

この度、近藤正晃ジェームス(@jameskondo)の Twitter 初代日本代表への就任について皆様にご報告できますことを大変嬉しく思います。日本代表就任は、Twitter 社創業来、初の外国法人代表就任となります。

Twitter 社にとって、日本は、これまでも重要な国の一つとして位置づけられてきました。日本は、米国外で、いち早く Twitter が創造的かつ革新的に活用されてきた国であり、且つ、嬉しいことに、現在も利用者数が急速に伸び続けています。

日本の方々にとっても、Twitter が重要な存在であることができていたとすれば、大変喜ばしいことです。最近では、大震災発生以降、滞る情報をつなげる上で、Twitter が一定の役割を果たしてきたと聞き及んでおります。震災によって亡くなられた方々の御家族や被災された皆さまに、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げたいと思います。今後も、Twitter が日本の皆様に少しでもお役に立つことができたら、それ程光栄なことはございません。

彼は日本代表として正に適任の人物です。内閣総理大臣官邸では政策立案および国際広報の幹部として、マッキンゼー社では国際的なコンサルタントとして、東京大学ではリーダーシップ講座の教官として活躍し、その間に4冊の本も編著しています。

これから日本におけるチーム編成に取り組みます。採用情報は、このリンクからご覧になれます。
Twitter 社として、祝福します。

Twitter 社最高経営責任者
ディック・コストロ

ツイッターが日本法人代表に最適として選んだのは、絵に描いたような体制派のエリートでした。なんとなく、ツイッター、お前もか、という気分。

Friday, March 2, 2012

FOOD ACTION NIPPON 推進パートナー 学校関係一覧

FOOD ACTION NIPPON 推進パートナー」の一覧から、学校、学校関連の団体などを抜書きしました。学校給食会は全滅。全国学校給食会連合会が推進パートナーなので、必然的にそれに属する全国の都道府県の給食会も加入するのでしょう。(県が1つ、どうしても探せませんが...)

驚いたのは、幼稚園、保育園があること。小学校、高校などでも学校単位で推進パートナーになっている学校まであります。

推進パートナーになるメリットとは何でしょう?FOOD ACTION NIPPONの推進パートナーのページから見る限り、無料の販促ツール以外にたいしたメリットは見出せません。

FOOD ACTION NIPPON推進パートナーにご登録いただくと、推進パートナーとしての活動内容をFOOD ACTION NIPPON公式サイト上で紹介させていただくことがございます。また、推進パートナーロゴマークを、広告や名刺、商品などに使用したり、店頭やキャンペーンなどにご活用いただける販促ツールを使用することも可能となります。
日本の食料の未来を明るいものにするためには、国産食材に関する情報を共有できるネットワークがとても大切です。だからこそ、まずは今すぐ登録を!

(あいうえお順)

愛知県学校給食会
愛農学園農業高等学校(三重県)
青森県学校給食会
青森県立保健大学
秋田県学校給食会
秋田県立大学
荒川区立大門小学校(東京)
威海市啓明外語中等専門学校 (中国)
石川県学校給食会
石川県立翠星高等学校
市川市立行徳小学校 (千葉県)
茨城県学校給食会
岩手県学校給食会
愛媛県学校給食会
大分県学校給食会
大阪府学校給食会
岡山県学校給食会
岡山県立高松農業高等学校
沖縄県学校給食会
香川県学校給食会
鹿児島県学校給食会
神奈川県学校給食会
金沢製菓調理専門学校(石川県)
学校法人 河合塾
北里大学(岩手県)
岐阜県学校給食会
京都府学校給食会
熊本県学校給食会
熊本県立鹿本農業高等学校
熊本大学
群馬県学校給食会
啓愛学園 たぐま幼稚園(福岡県)
恵泉女学園大学(東京都)
高知県学校給食会
高知大学 農学部
小松島市学校給食委員会(徳島県)
埼玉県学校給食会
佐賀県学校給食会
相模女子大学(神奈川県)
札幌新陽高等学校(北海道)
佐野短期大学総合キャリア教育学科(栃木県)
滋賀県学校給食会
静岡県学校給食会
静岡県立磐田農業高等学校
静岡県立大学
静岡県立富岳館高等学校野菜研究班
静岡文化芸術大学 食文化研究室
島根県学校給食会
首都大学東京
松蔭高校BlueEarhtProject(兵庫県)
上越市立大手町小学校(新潟県)
杉並区立東原中学校(東京都)
椙山女学園大学(愛知県)
全九州料理学校協会(東京都)
全国学校給食会連合会
全国高等学校家庭クラブ連盟
ちどり保育園(千葉県)
千葉県学校給食会
中部料理学校協会(東京都)
筑波大学大学院生命環境科学研究科(茨城県)
東京都学校給食会
東京農業大学
徳島県学校給食会
徳島県立小松島西高等学校 TOKUSHIMA雪花菜工房
徳島大学
栃木県学校給食会
栃木県立那須拓陽高等学校
鳥取県学校給食会
富山県学校給食会
長崎県学校給食会
長野県学校給食会
中村学園三陽中学校高等学校(福岡県)
中村学園女子高等学校(福岡県)
名古屋大学大学院環境学研究科(愛知県)
奈良県学校給食会
奈良女子大学・生活観光現代GP・奈良の食プロジェクト
新潟県立加茂農林高等学校
新潟県学校給食会
新潟県立長岡大手高等学校 家政科
新潟農業・バイオ専門学校
西日本料理学校協会
東日本料理学校協会
兵庫県学校給食総合センター
国立大学法人 弘前大学(青森県)
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北海道札幌稲穂高等支援学校
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宮城県学校給食会
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宮崎大学 農学部 動物生理生化学研究室
明成高等学校 調理科 リエゾンキッチン(宮城県)
山形県学校給食会
山形大学
山形大学 国際事業化研究センター
山口県学校給食会
山梨県学校給食会

和歌山県学校給食会

BBCドキュメンタリー: 「津波の子供たち」

警戒区域から避難したとき、放射能を浴びたから服や靴を捨てられた。顔もごしごし洗った。「大事な服だったから悔しかった」、と小さな女の子は、それでも少し笑って言った。

2012年3月1日放送のBBCドキュメンタリー 「津波の子供たち」



大きな画面で見るにはスクリーン全面表示にするか、Youtubeのサイトで大きなサイズでご覧ください。

津波、とはタイトルでいっていますが、地震であり津波であり原発事故であることはドキュメンタリーを見れば明らかです。黒々とした津波に飲み込まれる町を上空から撮影した部分を見ると、1年近くたっても呆然とします。

Thursday, March 1, 2012

広域処理批判の替え歌動画 「国土の果てまでも」

ツイッターの@tsunamiwasteさんと@tautautau1976さんの合作。「修羅の果てまでも」(角田信朗)に乗せて、

原子力ムラ廃棄物ムラ
利権にゃいろいろあるけれど
がれきの処理も利権とは
細野なぜなぜ日本を壊す

震災直後の苦しむ日本
利権を狙う鬼どもが
口ずさむこの替え歌...

運べ!埋めろ! がれき燃やしとおせ!