Tuesday, January 3, 2012

日経新聞;「原発事故を風化させないためにも博物館を」

今日見た記事の中で一番違和感のあったのはこれ。「風化」?まだ事故は続いていると妄想していたんですが。それともこれは、箱物を作ってゼネコンに仕事をまわすという従来の日本の「復興」パターンを踏んでいるにしか過ぎないのでしょうか。

それとも、チェルノブイリは(実際に)事故を収束させてから博物館を作るまで数年以上掛かっている、日本はその上を行こう、とでも言うのでしょうか?つまり、事故も終わってないうちに速攻で博物館を作ってしまう。ソ連に勝ったぞ、とでも。

話に噛んでいるのは福島大学だそうです。

博物館設立は子供たちのためでもあるそうです。

日本の学校授業では原子力発電所の問題について十分教えられていなかった。ところが原発事故で最も被害を受けたのは、放射線の影響が出やすいとされる子ど もたち。特に低レベル放射線量の発がんリスクは未解明な点が多い。福島県の子どもたちは自ら知識を身につけてリスクを理解し居住する「覚悟」が求められ る

リスクを理解したとして、居住しない選択は子どもたちにはどうやらないようです。(あっても子どもが一人で脱出できるわけでもありませんが。)この日経の記者が覚悟して福島で居住なさって、お手本をお示しになってはいかがでしょう。幼稚園児、小学生、中高生に覚悟を求めるのではなく。

日経新聞2012年1月4日記事:

原発事故の博物館を(震災取材ブログ)

東京電力福島第1原子力発電所の事故から9カ月あまり。福島県内で事故に関する資料を集めた博物館の設立を求める声が出ている。原発事故の経緯や写真、住民避難の資料などを集めた博物館で、事故の教訓を風化させないようするのが狙いだ。

博物館の設立に向けて動いているのは、福島大学を中心に構成するベラルーシ・ウクライナ福島調査団。調査団は2011年11月に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所周辺に足を運び、地域住民による放射能対策や事故を起こした原発本体を視察した。その中でウクライナにあるチェルノブイリ博物館を訪れた。調査団のメンバーである桜の聖母短期大学(福島市)の二瓶由美子准教授は「原発事故の実態を詳しく知ることができる」と話す。

 チェルノブイリ博物館の設立は1990年代。当初は、事故直後の消火活動に携わった作業員を讃(たた)えるメモリアルとして設立されたという。その後、収束作業に使った道具や現場を撮影した写真、原発の模型なども展示。広島や長崎に落ちた原子力爆弾による被害や世界にある原子力発電所の状況なども説明し、人類と原子力とのかかわりも分かる。

福島第1原発の事故を受けて、博物館内には福島に向けたメッセージも掲げられた。天井につり下げた桜の枝に垂れ幕がかかり、日本語で「私達(たち)はあなたと共にいる。傷が癒(いや)されるように祈りを捧(ささ)げている。諦(あきら)めないで!」などと書かれている。

二瓶准教授は「過去を語ることは現在と未来を見つめること」と話す。博物館は歴史を記録するという役割だけでなく、教育としての効果も期待できる。「子供や学生が学んでいくことで、自ら判断して取り組む力がつく」(同准教授)。

 日本の学校授業では原子力発電所の問題について十分教えられていなかった。ところが原発事故で最も被害を受けたのは、放射線の影響が出やすいとされる子どもたち。特に低レベル放射線量の発がんリスクは未解明な点が多い。福島県の子どもたちは自ら知識を身につけてリスクを理解し居住する「覚悟」が求められる。

 博物館設立の中心的な役割を担うのが、福島大が震災後に設立した「うつくしまふくしま未来支援センター」だ。福島大学の清水修二副学長は「国や地方自治体、東京電力にも資料の提供を呼びかけていきたい」と話す。原発事故では多くの周辺住民は避難を求められた。自治体が避難時に作成した資料などはすでに散逸する恐れがある。「なるべく早く立ち上げたい」(清水副学長)。

 日本では事故に関する博物館の重要性は最近ようやく認識されたばかり。事故を忘れ去りたい加害者(企業)などの配慮から思うように進まないケースが多いからだ。1985年に起きた日航機の墜落事故でも設立に20年近くかった。福島県民がかかえる苦労を人類が2度と経験しないためにも博物館の意義は大きい。(竹下敦宣)

博物館の重要性は認識されたばかり??博物館を作るという行為そのものが事故を風化させる、過去のものとして扱うことだと思いますが、福島第1原発の溶けた燃料デブリが一体どこにあるのかも分かっていない状態で博物館を作ってしまおうというのですから、日本はたいしたものです。

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