Tuesday, May 8, 2012

河北新報:「追い込まれた命-福島第1原発事故(上)明るかった妻の絶望」

昨年7月、一時帰宅のご自宅でそのまま帰らぬ方となられた福島県川俣町山木屋の渡辺はま子さんのご遺族への取材が、2012年5月9日付けの河北新報で記事になっていました。以下、部分抜粋:

追い込まれた命-福島第1原発事故(上)明るかった妻の絶望

福島第1原発事故で自殺者を生んだ東京電力の責任が初めて法廷で問われる。避難生活の果てに命を絶った福島県川俣町山木屋の渡辺はま子さん=当時(58)=の夫幹夫さん(61)ら遺族が東電を相手に訴訟を起こす。原発事故で自殺したのははま子さんだけではない。複数の人が暮らしを破壊されて絶望し、人生に終止符を打った。それぞれの遺族が語る故人の無念からは原発事故の理不尽さが浮かび上がる。

昨年7月1日早朝。幹夫さんは、はま子さんと一時帰宅し、1人で草刈りをしていた。山木屋地区は原発から約40キロ北西で計画的避難区域に指定されている。
丈の長い草の向こうで火柱が上がった。「古い布団でも燃やしているのかな」と気に留めなかった。
作業を終え、自宅に戻った。妻が見当たらない。嫌な予感がした。
はま子さんは自宅近くのごみ焼き場に倒れていた。衣服は焼け焦げ、煙がゆらめいている。火はまだくすぶっていた。ガソリンの臭いが鼻につく。そばに携行缶とライターが転がっていた。自宅から持ち出したようだ。
幹夫さんは言葉を失った。変わり果てた姿。119番して救急車を呼んだ。息絶えていたのは分かっていたが、そうしないと気が済まなかった。

原発事故で避難し、福島市の親戚宅、福島県磐梯町の体育館を転々とした。福島市のアパートに落ち着いたのは事故3カ月後の昨年6月だった。
息子たちは仕事の都合で離れ、アパートでは幹夫さんと2人で生活した。隣人に気を使い、声を潜めて話した。食欲が落ちて体重が5キロ減り、睡眠障害にも陥った。
「家のローンがあと7年残っている」「子どもと離れて暮らさなければならず、近所との付き合いもなくなった」。繰り返し不安を口にし、ふさぎ込むようになった。このとき既にうつ病を発症していた可能性があるという。
はま子さんは野菜作りが好きだった。家庭菜園で実ったキュウリやナスが毎日食卓に並んだ。旅行に行っても野菜の状態を気に掛け、「早く家に帰ろう」と言っていた。

よくしゃべり、よく笑う。裏表のない性格で人の悪口が嫌い。社交的と評判で自殺とは無縁と思っていた。そんな妻が自ら命を絶った。

(記事全文はリンク先でどうぞ)


川俣町は飯舘村の西に位置し、山木屋地区(501世帯1,246人)は、昨年4月になってから国が計画避難区域に指定して住民に避難を指示、住民は自己責任で避難先を探し、町を出ることを余儀なくされました。現在、山木屋地区を居住制限、避難指示解除準備の2区域に再編する国の案は、具体性が無いとして川俣町長は受け入れていません(河北新報記事参照)。

上記記事によると、訴訟を起こす相手は東電とのこと。国に対して訴訟を起こしてあっさり勝つ見込みは過去数十年の前例を見てもほぼ皆無なので、東電に対する訴訟に留まるのは仕方がないとは思いますが、原発事故を起こした原発運転者の東電と共に、「国策」として原発を推し進め、原発運転者を規制、指導する立場であり事故後の対策の責任者である国こそ、訴訟を起こされてしかるべきだと思うのです。

計画避難区域に指定しただけで将来の展望も何も住民に示さず、福島県以外にはあたかも被害が無かったかのような頬かむりを政府がしていた時期に、渡辺さんご夫婦は一時帰宅なさっていました。現在に至っても将来の展望など何も無く、ただ漠然とした将来の帰還の可能性をちらつかせる程度の「策」しかどうもなさそうな政府。

この記事を読んでよりによって思い出したのは、被曝一回に100ミリシーベルトまでOK、年間被曝限度量は現行の1ミリシーベルトの1000倍の1シーベルトでOK、但し生涯の累積被曝限度量は5シーベルト、とするオクスフォード大学のウェード・アリソン教授。私は個人的には教授の論拠(がん治療で使う放射線の方が強い、など)にも、教授の出す数字にも、まったく賛同できません。ただ、なぜ思い出したかと言うと、教授のこの言です:

避難すること(および放射線による健康被害のリスクがあると住民に知らせること)のほうが、放射線自体よりはるかに大きな害を住民の健康に及ぼす


教授の言うように、避難した事自体、あるいは放射線による健康被害のリスクを知らせたこと自体(実際ろくに知らせていないようですが)が大きな害を及ぼした、とは思いません。しかし、何の将来の目処もなしにただ住んでいた場所から人々を避難と称して追いたて、放射線による健康被害のリスク(というのは嫌いなカタカナですが、英語の理解からすると、「健康被害が出るかもしれないという可能性」ということ)を十分に知らせた上で住民が納得して避難、あるいは留まる選択を取らせなかった国の無策が、放射線自体よりもはるかに大きな害を住民の健康に及ぼしているのではないか、とは思います。

政府は、どういう理由、根拠でいつまで避難が必要なのかも明確に示さず、避難先の手当てすらせず、これから避難して出てきた家がどうなるのかも説明できず、放射線被曝の健康への被害の可能性についての説明も、「直ちに影響はない」と繰り返す他はろくに出来ず、除染すらろくに出来ず、挙句の果ては今年の3月、「原発事故ではだれも個人的に責任のある者はいない」、と首相が外国人記者団に明言する始末。

結局国は、「リスク・コミュニケーション」というやつができていなかった、ということになるのでしょうが、第一この言葉がわけの分からんカタカナ日本語で留まっていること自体、起こりうる被害の可能性についての情報伝達は出来ていないということの証拠でしょうか。

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