Friday, October 14, 2011

3月12日の夜、浪江町に来た謎の防護服の男

「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」

『防護服の男』と題された連載記事は、朝日新聞朝刊に数ヶ月にわたって掲載される予定の『プロメテウスの罠』シリーズ(前田基行記者取材)の第1部なのだそうです。私はこんな記事があることは知りませんでした。

まだお読みでない方、是非下記のリンクでお読みください。(薔薇、または陽だまりの猫ブログ) 全部で11話あります。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230

最初の記事は10月3日付け、朝日新聞のデジタル版にも出ています。以下、10月3日付朝日新聞より:

防護服の男(1)

 福島県浪江町の津島地区。東京電力福島第一原発から約30キロ北西の山あいにある。

 原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。

 菅野(かんの)みずえ(59)の家にも朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。

 築180年の古民家を壊して新築した家だ。門構えが立派で、敷地は広い。20畳の大部屋もある。避難者を受け入れるにはちょうどよかった。門の中は人々の車でいっぱいになった。

 「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」。人々はとりあえずほっとした表情だった。

 みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。

 夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。

 一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。

 一、炊事や配膳はみんなで手伝う。

 一、お互い遠慮するのはやめよう……。

 人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。みずえは家にあるだけの布団を出した。

 そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。

 「何? どうしたの?」

 みずえが尋ねた。

 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」

 みずえはびっくりした。

 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」

 車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。

 「放射性物質が拡散しているんだ」。真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。

 家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。

 2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。

 政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか。

 みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。(前田基行)

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(英語ブログにさっとやった英文翻訳(私訳)を出しています。ただいま(1)(2)(3)まで。随時出しますので、日本語を解さないお知り合いにもお勧めください。ここです。日本語も出してあります。)

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