Wednesday, September 7, 2011

山下俊一教授:「広島・長崎に次ぐ国内3番目のヒバクシャを生み出した福島県」

教授がまだ長崎大学にいらした今年4月の、『2011年4月 原研医療への新たな挑戦』と題するお言葉です。

平成23年度4月から原研組織は新たに社会医学部門、放射線生命科学部門、そして原爆・ヒバクシャ医療部門の3つに改組されました。20年間『原研細胞』の呼称で親しまれてきた小教室は、大学院組織としては放射線医療科学専攻の社会医学部門に所属し、そして附属原爆後障害医療研究施設としても社会医学部門となり、その中で放射線災害医療研究分野を専攻することになります。略称が『原研災害』ではとんだ災難、災害と誤解され、原研のお荷物のようだと揶揄されますので、ここははっきりと基礎と臨床に足場を置き、被ばく医療支援活動にも従事する教育研究講座とすることから『原研医療』と名称変更することとしました。21世紀COEプログラム「放射線医療科学国際コンソーシアム」とその継承プログラムであるグローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」の成果が結実したものが、今回の原研改組再編に伴う『放射線災害医療研究分野』や『健康リスク管理学研究分野』です。

 奇しくも3月11日東日本大震災が突如として勃発し、未曾有の地震と津波に加えて、原子力災害を引き起こしました。メディアを通じての惨劇を目の当たりにし、チェルノブイリの経験を元に最大限の努力を払う覚悟で、被災直後の緊急被ばく医療支援ならびに原子力災害医療への取組みを長崎大学から本格化しました。未だ福島原発事故の終息が見えず、長引く現状ではすべてが不確定不確実です。しかし、その渦中にあればこそ原発作業員、そして避難住民から一般被災者に至るまで幅広い支援が不可欠です。『原研医療』では大学病院国際ヒバクシャ医療センターと準備してきた緊急被ばく医療対応に加え、グローバルCOEプログラムの根幹である放射線リスク健康管理を、福島県ならびに福島県立医科大学の要請を受けて、いち早く現場で実践しています。本領域における20年間の海外での活動実績は、広島・長崎に次ぐ国内3番目のヒバクシャを生み出した福島県にこそ生かされるべきだと考えると、新生『原研医療』も直ぐに正念場を迎えることになりました。

 東日本大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げ、心から被災者へのお見舞いを申し上げます。今後とも被ばく医療への道を目指す医療人の育成に努め、世界のヒバクシャに真摯に立ち向い、原子力災害ならびに放射線災害における現場医療の実践を基礎医学と臨床医療の両面から推進する所存です。『原研細胞』改め『原研医療』という玉石混合の小講座へのご支援、ご協力宜しくお願い申し上げます。

山下 俊一

2 comments:

  1. twitteから来ました。被曝者を生み出したのは福島県ではなく、山下自身ですよね。こいつが安全デマを声高に叫んで住民を福島に留め置いたから被曝者が出たわけです。福島の人間をモルモットにしておいてよく言うな、と思います。

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  2. それに福島の佐藤知事も加えましょう。さらに、今も住民の避難を拒否する市町村の長も加えましょう。拒否するどころか、住民に自分たちで除染しろ、と言う始末。

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