まずは、福島市大波地区の米から630ベクレルセシウム検出のニュースに対する福島市内の米農家、米穀店の反応から。
産経新聞11月17日付け記事:
福島市内の農家が生産したコシヒカリの玄米から、国の暫定基準値を超える放射性セシウムの検出が判明した16日、同市内の農家や米穀店には戸惑いや失望、動揺が広がった。
福島市大波地区の農業、八巻清市さん(57)は「自分のところでも出ているのではないか。風評被害で来年はコメを作らなくなる農家もあるのでは」と不安そうに話した。
「安全宣言を出したのに、なぜ今さらこんなことになるのか。ただでさえ風評被害でコメが値下がりしているのに」。福島市内のコメ農家の男性(50)は声を荒らげた。「TPPの問題もあるし、廃業も現実味を帯びてきた」と悔しそうに話した。
福島市内で米穀店を営む男性店主(59)は「県の調査はサンプル調査。全てを調査していない以上、基準値超えがあると思っていたが…」と落胆した。男性の店では、福島市のコメは取り扱っていない。「福島市産のコメは店に置いても売れない」と苦しい現実を明らかにした。
風評被害?安全宣言が出ると放射能は出ないはず?
一方、同じ福島の農家でもこんな方も。ツイッターで既にリンクをお出ししてありますが、ブログでも記録に残したいと思います。福島県二本松市から長野県上田市に、有機農業を続けるために移住した農家の方の記事です。
朝日新聞11月1日付け記事:
原発事故後、福島県二本松市から上田市に移ってきた農家が再始動した。「丹野農園」にとって加工品第1号となる「にんじんジュース」が先週末、上田市の松尾町商店街であったイベントで並んだ。再出発の地に上田を選んで約5カ月。農園の丹野喜三郎さん(70)は「上田の土はいい。ここを拠点にやっていく」と話した。
約40年にわたって有機農業に取り組んできた丹野さん。二本松ではコメや野菜、小麦などを栽培し、地元にとどまらず、首都圏や名古屋、大阪などの消費者に届けてきた。
しかし、3月11日の大震災や原発事故で、すべてが奪われた。作った野菜はキャンセルされて出荷できず、大半は廃棄するしかなかった。
移転先を探し、山形や山梨県などを見て回った。上田は、長野大学環境ツーリズム学部の古田睦美教授が窓口となり、有機農業者の受け入れを掲げていたことから、候補地となった。
古田教授や学生、レストラン「コラボ食堂」などを運営するNPO「食と農のまちづくりネットワーク」、農協や行政関係者、地元の人たちの手厚いサポートもあり、家族で上田への移住を決めた。
新生活の半月後の6月中旬には田植えを始め、野菜作りもスタート。夏場にはキュウリなども出来た。全てとはいかないが、二本松時代の顧客も再び丹野農園の農産物を求めてくれるようになった。また、新たな消費者に向けての出荷も始めた。
そして、10月29、30日には、商店街の一角にあるコミュニティースペース「松尾町フードサロン」で、自慢のニンジンを使ったジュースや、食感に優れた「自根きゅうり」の漬物を店頭デビューさせた。
野菜作りは徐々に軌道に乗ってきた。経験の豊かさから、「丹野さんに野菜作りを教わりたい」と希望する人たちも出て来ている。
原発事故の影響は余りにも大きい。二本松について丹野さんは「帰っても、どうしようもない」。そして「ここに骨を埋めることになると思う」。ジュースや漬物は、そんな覚悟の表れでもある。(鈴木基顕)
立派な起業家、Entrepreneur です。今からでも、丹野さんに続く福島農家が増えることを望みます。(写真も朝日新聞より。)
いつも貴重な情報発信を有難うございます。
ReplyDelete丹野さん、頑張れ!
福島の汚染米は、「風評被害」ではなく「実害」でしょう。
政府の愚策に巻き込まれた、福島の農家の方が気の毒だし
加えて、福島の子供達! 一刻も早い疎開の実現を心から
祈るばかりです・・・。
月刊誌『食品と暮らしの安全(旧名称=子孫基金)』11月号に丹野さんのインタビュー記事が掲載されていました。
ReplyDelete全て書くと長すぎるので、部分的に書き出してみました。
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<中略>
丹野さん⇒ずっと反原発活動をしてきたのですが、福島第一原発の事故。その事実を知って、もうここでは農業ができないと思いました。
<中略>
丹野さん⇒収穫時期だったグリーンピースやスナックエンドウも、そのときから放って収穫していません。でも、稀にないすごく良い出来なのです。伸びて棚に上がると出る立ち枯れ病も1本も出なくて、これも放射能の影響でしょうね。ホウレン草も異常に大きくなっていました。でも食べるわけにはいきませんからね。全部抜きました。
<中略>
聞き手⇒有機農業を一緒にやってこられた方々は?
丹野さん⇒誘ったのですが、誰も来ません。現場を捨てて離れるのは勇気のいることです。若い人は家のローンや生活のこともあるし決心がつかないのです。
聞き手⇒若い人こそ子供達の事を考えて早く移住して欲しいのですが・・・
丹野さん⇒「大地を守る」というのですが、チェルノブイリを見ても、25年経って復帰したのは6%ぐらい。未だに汚染が残っています。もう住めない土地をどう守るのか・・・
どこも報道しませんが、こちらに来る前、例年なら初夏を迎え芽吹きで青々としているはずの安達太良山が、1/3近くで芽が出ずに黒ずみ、竹は真っ赤になっていました。
<中略>
聞き手⇒農業者への補償金は出たのですか?
丹野さん⇒いえ、仮払いもまだですね。
<中略>
丹野さん⇒せめて子供だけでも県外に離して欲しいと思って話しているのですがそれも実現していません。
県のほうでも、若い人達が出て行ったら県が成り立たなくなるとか言っている。おかしいですよ。
<中略>
丹野さん⇒役所、農協、県の農政部普及課も要望を受け入れ、一生懸命に動いてくれているので、空き家を探して、移住しようとする仲間を受け入れる段取りを進めています。
聞き手⇒農業者の移住は地域で少なくとも数件まとまっての方が決心しやすいと考えていました。
丹野さん⇒まとまるのは難しいですね。まず誰かが動いて、それから仲間を呼んだほうがいいでしょうね。
<中略>
記事抜粋、ありがとうございます。本筋に関係ない箇所が怖いですね。放射能のせいで格段に良く育った作物、それと、山の木の芽が出ずに、竹は枯れて赤くなっていた、というところが。
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