結局行き着くところは何と明治維新。
7月15日付けで福島医大の副学長にご就任なさった長崎出身の山下俊一教授も、3月の福島市での「100ミリシーベルト安全」講演で、福島市民に「白虎隊でしょう?」と暗に全員玉砕をお勧めになっていたかのような発言をされたようですが、会津若松市の市長が戊辰の怨敵、長州、もとい、山口県の萩市市長を訪問したそうです。
朝日新聞7月19日付け記事:
福島県会津若松市の菅家一郎市長が18日、山口県萩市を訪れ、野村興児市長らに震災後の風評被害に苦しむ現状を伝えた。
長州と会津は戊辰戦争で戦い、わだかまりが残るとされるが、菅家市長は、萩市から義援金や物資を受けたお礼に、市長としては14年ぶりにやって来た。
萩市民300人を前に菅家市長は「会津は安全。みなさんを歓迎します」。野村市長は「市民を募って行きましょうか」と、友好ムードを演出していた。
負けた賊軍も勝った官軍も、コメントがどことなくこわばっていますね。
戊辰戦争はいまから140年ほど前。それくらいの短期間ではうらみはそうそう忘れられるものではない?
そう言えば、司馬遼太郎氏の『翔ぶがごとく』(西南戦争の顛末を描いた歴史小説)のあとがきだったと思いますが、司馬氏が政府の高官の言(昭和50年代?)を引用していたのが非常に印象的でした。その政府の高官は、司馬氏に、「わたくしたちは太政官がお作りになった制度を守ってゆくのが使命です」のようなことをおっしゃったとか。一言一句この通りではなかったと思いますが、このような内容だったのは間違いありません。
日本の近代、現代はなんだったんでしょうね。
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